2003年12月号

 今年もやがて、クリスマス。今、特に思うのは、「献身」。父なる神さまは、たった独り子を献げて下さった。そして、イエスさまも私たちの為にすべてを献げて下さった  私たちも及ばずながら、献身している。何故なら、イエスさまに従うということは、イエスさまがすべてを献げられたように、その模範に従うことだから  今、日本の教会は深刻な状況にあるという。キリスト者は、微増しているが、教役者になる為に献身する人が少ないのである。これは、各教派に共通している  その中でも、聖公会は、ここ数年間で、牧師が、定年でどっとやめるので、十年後には、三分の一の教会が無牧になる由。 ( ちなみに、完全な定年制を実施しているのは、筆者の知る限り、聖公会だけ )   が、献身しているのは、教役者だけではない。信徒も、「献身者」。昔は、受洗の為に勘当された人も多かった。まさに、「献身」したのである。私たちは、この意識が乏しくなっていないか。猛省したい。(V ・ H)


2003年11月号

 最近、トータルカウンセリングスクール ( 田中信生牧師主宰、米沢市 ) のセミナーに出席、よい学びが出来た
 今、心の病の人が増え、教会にみえるケースも多い。さて、一般の施設の、心の病の治癒率は一割、大変よくて三割という。ところが、このカウンセリングによる治癒率は、なんと、七五パーセントという。その中には、統合失調症 ( 旧名 : 分裂病 ) などが含まれているという。、だから、多くの精神科医からも、注目されている由
 さて、心の病の大半は、人間関係からくる、と言われる。そして、人間関係のカギになるのは、自己受容。これは、あるがままの自分を、「好き、素晴らしい」と受け入れること
 このカウンセリングは、不登校、引きこもり、統合失調症、どんな状態であっても、「あなたは、今、あるがままで素晴らしい」、と受け入れる。ここに治癒率の高さの秘密があるとのこと
 これは、究極のカウンセラー、と言われるイエスさまの教えそのもの。学ぶ価値がある。(V ・ H)


2003年10月号

 筆者が受洗した四十四年前、プロテスタント諸教会は小さな教会が多く、聖公会と言えば、「大教派」として一目おかれた。が、今は、立場が逆転している
 最近、それを示すデ ーターを見て、ショックを受けた。一九四七年には、プロテスタント信徒十九万人のうち、六九 % が日基教団、二三 %が聖公会、この二つで九二% 。それが一九九七年では、総信徒六十万人のうち、日基教団三三 % 、聖公会は九% にすぎない。特に、聖公会は信徒の数が伸びないだけでなく、礼拝出席率が、この四十年間で、二割そこそこの低調さ、と
 かつての主流が支流になり、支流が主流になっている、この現実をしっかりと認識したい。日基教団は、三十年紛争で、伝道が「死語」になっていた、と反省。今、伝道に立ち上がっている。聖公会は ? 「聖公会の辞書には、伝道という文字がない」とある退職司祭
 “火は燃えることによって、教会は伝道によって、存在する”( ブルンナー) 、この言葉を肝に銘じたい。 (V-H)


2003年9月号

 五年連続、自殺者の数が三万人を超え、中高年の男性、特に、五十代の男性は、十年間で倍増という
 先日、自殺遺児の話を聴く機会があった。彼は、今年大学を卒業、情緒障害児治療施設に勤めている。小学生の前に、両親は離婚。弟二人と共に、父親に育てられたが、中二の時、父親が自殺。今も、自分が殺したのでは、と自責の念にかられているという
 彼の話で、特に印象に残ったのは、「負けた時の生き方を、小さい時から教えて欲しい」ということ。そう言えば、家庭でも、学校でも、「ガンバレ、ガンバレ」と勝ち方を教えるが、負けたときのことは教えてくれない
 でも、現実の社会は、「勝ち組」は一握り、殆どは、「負け組」
 史上最悪の「敗北者」はキリスト。が、復活によって最大の勝利者になった。この「人」のお陰で、私たちは「敗北者」ではなく、「勝利者」になれるのだ。感謝。  (V・H)


2003年8月号

  今、「平成の大合併」で、全国で町村合併が盛ん。日本聖公会でも、遅まきながら、教区の「合併」が話題になっているらしい
 英米に比べると、日本聖公会全体でーつの教区の規模。なのに、十一も数区がある。九州は、現在受聖餐者はハ百人ちょっと。ちなみに、カトリック大分数区は信徒は五千人。でも、小さいのでなんとかしなけ れば、との声がある由
 毎年のように、あっちでも、こっちでも、主教選挙がある。教区で決まらないと、総会が行われ、約二百万円かかる。主数選挙の度に、大変なお金と時間とエネルギーが費やされる。で、折角選んでも、五年もすると 定年退職、また、選挙となる
   一方、各個教会では、伝道しようにもお金がない、という声をよく耳にする。教勢は衰えるー方なのに、これでいいのか  今回の選挙のことでいろいろ取り沙汰されている。それなりの事情があると思うが、問題の根底に、教区が多すぎて、人材も枯渇していることがあるのでは・・・。(V・H)


2003年7月号

 猛威をふるうSARSは、今、この原稿を書いている時点では、まだ、終息のめどが立っていない
 先日、『不良牧師』の著者として有名な、アーサー・ホーランド牧師のメ ツセージを聞く機会があった。高級バイク、ハーレーを駆って、年間、五万キロの伝道旅行をしているという彼は、開口一番、「私はSARSのような男。福音を感染させているから…」と
 聖書にも、聖パウロのことを「疫病のような男」(使徒言行録24:5)とある。キリスト教も、初期には、SARS以上に、大変な「感染力」があった。今でも、「感染力」が強い、生き生きとした教会もある
 私たちの教会は? 初めて来た人をつかまえてしまうような、「感染力」があるだろうか。「感染力」がなくなったキリスト教は、気の抜けたビールのようなもので、魅力はない
 神が今も生きて働いておられることを、私たちが実感し、喜びにあふれた生き方をすることによって、強い「感染力」が生まれるのでは・・・。(V・N)  


2003年6月号

 また、残酷な誘拐殺人事件が起きた。不況で、世の中は、ますます、金、金。神さまより、カネさまを拝む人が増えている。  宗教哲学を教えている、ある大学の先生こ、一人の経済人が、「幸福の九九パーセントは、お金で買えるよ」と。これに対して、先生は、「そうかも知れない。が、後の一パーセントで、九九パーセントの幸福は吹っ飛ぶかもしれない」と答えた由。ガンの宣告でも受けたら、お金で買った幸福など、たちどころに、吹っ飛んでしまう。  「お金は、天国以外のすべての所へ導き、幸せ以外の、すべてを買うことができる」とは、米国の銀行募集に入賞した標語。生きる為には、お金は必要。でも、お金で幸福が買えるというのは幻想。確かに、お金が なくて困っている人が沢山いる。が、一方で、財産がある為に、骨肉の争いをしている人が多くいることも事実。  真の幸いは、神と共にいること。このことを実感し、そのように生きることが、証しになり、伝道につながる・・・。 (V・原)


2003年5月号

 最近、A新聞で、長崎・生月島のかくれキリシタンのことが連載された。四五〇年続いた信仰が消えるのではないか、と
 何度か、生月島や平戸のかくれキリシタンの里を訪ねたことがある。が、キリシタンとは名ばかりで、キリスト教とは似ても似つかぬものになっている。つらい、長い、迫害がそうさせたのだろうが、信仰は表に出ないと、力を失う。この信仰が消えて行くのは、仕方がないのかも
 私たちも、信仰が隠れたものにならないよう、気をつけたい。イエスさまは、”人の前で、私を知らないという者を、私も、その人を知らないという山(マタイ十:三三)と言われた。私たちの信仰は、表にあらわし、外の「風」に当たることによって強くなる
無理して、「私はクリスチャン」と言う必要はない。でも、十年もー緒にいた職場の同僚から、「彼がキリスト教とは知らなかった」と言われるようでは、さびしい。常に、外の「風」に当たっているエホバの証人に学びたい。 (V・H)


2003年4月号

 歴史家A・トインビーは、世界の二十一の文明の内、十六は、外敵によってではなく、内部の道徳的退廃、堕落によって、自ら滅んだ、と言っている。ローマ帝国の 滅亡はまさにそうだった。
 が、ローマ在住の作家塩野七生氏は、『ローマ人への ニ十の質問』の中で、“ローマ帝国は、道徳的な堕落、 退廃で滅亡したと言うが、今まで、人類は、これらの 悪のひとつでも、過去のものとできただろうか”と指 摘している。
 そう言われると、日本人として、大変耳が痛い。日本の国は、年々悪くなり、犯罪件数も増えつづけ、年間三百万件以上。親が子どもに、保険金をかけて殺す事件が起きても、それほど驚かなくなったほど・・・。それほどに、ひどい状態。ローマのように、いつ滅亡しても、不思議ではない、そいうところまで来ているのか・・・
 今こそ、「世の光」、「地の塩」である、福音の出番。私たちは、“福音のためなら、どんなことでも”(一コリント九:二三)しなければならない。 (V・H)


2003年3月号

  今、わが国は不況で、あまり元気がないが、もちろん、元気な企業もある。”種をまかぬバ力。まいてすぐ刈ろうとするバ力。思いきったことをしないバ力”。これは、ある元気な中小企業の社長室にはつてあったスローガン
これは、そのまま教会の伝道に、あてはまるのでは…。今の時代、何をしてもダメ、という声を聞く。種をあまりまかないでいて、こういう気持ちになっていないか
蒔いても、すぐに結果を求め、効果がないと失望したり、落ち込んだり する。当教会で、昨年、受洗した女性は、看板を見て飛び込んできた人。でも、彼女は、以前、一度行った四国のある教会から、なんと、二十年近くも、印刷物が送られてきていたという。”パンを水の上に投げよ。 多くの日の後、それを得る”(伝道十一)とあるが、種蒔きは、根気よくしたい
時には、思いきったこともしたいもの。何かしようとすると、すぐ、お金がない、と尻込みしがち。が、案ずるより生むがやすし。やってみると、大いに祝福され、おつりが出るほど…。筆者は、こんな経験を何度もし た。(V・H)


2003年2月号

   昨今、癒し系という言葉が生まれ、癒しブーム。癒し系音楽などに人気がある。ノーベル賞の田中さんにファンが多いのは、癒し系の人だからとか。タマちやん現象が際立ったのも、1如何に多くの人が、癒しを求めているかのあらわれ。まさに、一億総癒しを求めている時代
それだけ、多くの人が傷ついて、それを包みこんでくれる愛に飢えているのだろう。バブルがはじけ、お金も頼りにならない。男は仕事、と命をかけても、リストラにあう・・・・
さて、人間の心には、神によってしか埋められない、空洞がある、と言われる。だから、癒し系の音楽などは、一時的で、根本的な癒しにはならない。私たちの本当の癒しは、神にしかできない
昨年の世相をあらわす漢字は、「帰」であった。私たちの帰るとこは? あの放蕩息子は、父のもとに帰ることによって、癒された。私たちの帰るところも、「かえれや、かえれや」と聖歌にあるように、神のふところしかない
伝道とは、私たちが神にしっかりと抱かれて、癒され、それをまわりの人たちと分かち合うことでは・・・・。(V・H)


2003年1月号

   四月から、幼稚園のある教会に赴任。朝から、幼子の明るい声をきき、元気づけられる。
 今、わが国は元気がない。その原因の一つは、出生率が低いことにある。出生率がまだ、1.8人の時、統計学者の計算によると、日本の人口は、四〇〇年後にはゼロになる、と。今は、1.3人だから、二〇〇年位でゼロになるのかも。
 さて、教会の「出生率」はどうだろうか。昨年の管区統計表によると、壮年受洗音数と逝去者数の比較では、マイナス一八〇人。聖公会の将来は?
 教会は、いろんなことを試みても、新しい人が誕生しないと元気がでない。礼拝にしても、一〇年、二〇年たっても、同じようなメンバーでは、もうーつ意気が上がらない
 昨年、門司聖救主教会が一〇七年の歴史に幕を閉じ、さびしい限り。が、一方で、ベテル教会の誕生は、明るいニュース。熱心な姉妹方の献身的な捧げ物のお陰。この人たちに報いる道は、この教会から、次々と、「赤ちゃん」が誕生することでは・・・
 政府は、少子化対策に一兆円の予算を計上。教会の「少子化」対策は?
(ビンセント 原 寛)


2002年の荒野の声
2001年の荒野の声

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日本聖公会九州教区