2004年11月号

 十一月三十日は使徒聖アンデレの日。アンデレはペテロの兄弟で漁師であった。初めは、洗礼者ヨハネの弟子だったが、イエス様と出会った時、イエスの最初の弟子となった。そして、アンデレはすぐ兄 弟ペテ口をイエスに紹介した。又、イエスが五千人に食べ物を与えた時、アンデレはパン五つと魚二匹を持つ少年をイエスの元に連れて来た。伝説によるとアンデレは現在のトルコとギリシャで伝道し、西暦六十年に十字架に付けられて殉教された。その十字架は普通ではなく、ローマ字の「 X 」文字の形であったと言われている。芸術作品に、アンデレはその様な十字架を持って描かれている。八世紀にアンデレの遺骨の一部分がスコットランドに運ばれた。納骨した町の名前は「セイント・アンドリューズ」( 意味「聖アンデレの」 ) になった。アンデレはスコッランドの守護聖人であり、国旗には聖アンデレの十字架が描かれている。私たちも、アンデレと同じ様に、多くの人々をイエスに紹介しよう。( バスク )


2004年10月号

 十月に、多くのイギリスの教会は収穫祭を祝う。収穫祭は教会暦の聖日ではないので、日にちは決 まっていない。教会はそれぞれ個別に十月の一つの主日を選択して祭を行う。選択した主日前に人は自分の庭で育てた野菜と果物を教会に持って来て、生花と一緒に教会を全体的に飾る。祭壇の前に小麦の束や大きな見世物のパンを置いて置く伝統がある。缶詰や包んだ食品を飾ることもある。主日の礼拝では、人は特別に飾った教会の風景を楽しんでその年の収穫の上に神様に感謝する。次の日、教会を飾った食べ物が地元の老人ホーム等に贈られる。都市の中心にある教会でもこの祭りが守られているが、今の時代に収穫の「有難さ」を深く理解する人は少なくなった。私は数年前イギリスのある中学校で収穫祭についての話をした。「あなたたちの中に、食べ物の生産に関わる仕事する親がいるか」と尋ねた。四百人の中に一人しかいなかった。収穫は神様の賜物である。それを忘れずに感謝しよう。( バスク )


2004年9月号

 イギリスの新学期は四月ではなく、日本の二学期とほぼ同じ、九月上旬に始まる。その新学期の伝統的な名前は「ミクルマス」で、「聖ミカエルのミサ」という意味である。九月二十九日にある「聖ミカエル及び諸天使の日」と等しい。聖ミカエルは実際、歴史的に存在した人間ではなく「天使の頭」と呼ばれる一番偉い天使である。「ミカエル」という名前はヘ、、フライ語で「主に例えられるのは誰か」という意味である。絵画等に聖ミカエルは大抵剣を持って描かれている。ヨハネの黙示録十二章七節以下の、ミカエルが悪魔を天から投げ落としたことに因る。新約聖書では、「剣」や「戦う」等の軍事的な言葉は文字通りの意味ではなく、人間の心と社会の中にある「悪」に対する霊的な奮闘の隠聡として解釈すべきである。聖ミカエルはその奮闘の「勝利」の象徴で、皆の守護天使になる。新学期はいつになっても、子供にも大人にも「悪」に対する霊的な力が与えられるように祈ろう。( バスク )


2004年8月号

 八月十五日はお盆の最後の日、そして終戦記念日でもある。イギリスの終戦記念日は十一月十一日、第一次世界戦争が終わった日である。偶然、その記念日は日本と同様、「キリスト教のお盆」である十一月二日の諸魂日に近い。日本は終戦記念日の前に、広島と長崎の原爆記念日もある。八月には亡くなった人の思い出が多いだろう。六日の広島原爆記念日は教会暦で主イエス変容の日である。その日は、イエスが三人の弟子を連れて山に登り、そこでイエスの様子が変わって真っ白に輝いたことを記念する日である。人間はイエスのように神様の栄光を反映して輝くはずが、その代わりに原爆の「輝き」を作ってしまった。又、十五日の終戦記念日は偶然にも聖母マリヤの日である。カトリック教会で、その日は「聖母マリヤ昇天日」と呼ばれる。伝説によると、聖母マリヤは普通の自然死をせず、イエスのように昇天された。戦争の犠牲者皆が昇天し、人の変わりに戦争が「亡くなる」ように祈ろう。 (バスク)


2004年7月号

 七月は学校の夏休みの初めである。学校の休みということは遊びの時期だけではない。年中毎日勉強ばかりすれば、子供の脳は働かなくなるだろう。教育の目的を果たすために、「空」の時間が必要である。七月に教会もある意味では「休み中」になる。つまり、教会の大きな祝いや特別な季節がない。教会で全ての主日は祝日として見なされているが、それ以外に七月の祝いは二人の聖人の日だけである。二十二日はマグダラの聖マリヤの日、二十六日使徒聖ヤコブの日である。教会暦は学校のカリキュラムに例えられる。降臨節、降誕日、大斎節、復活祭、聖霊降臨日等によって、神様がイエス様を通してなさった御業について私たちは教えられている。しかし、 七月の「特に何もない」季節も大事な時期である。その時間がなければ、「祝い」の時の意味もなくなるだろう。その上、「普通」の日しかない時期に、神様が特別な時だけではなく、いつも私たちと共におられることを理解して、感謝出来る。( バスク )


2004年6月号

 毎年「母の日」と「父の日」がある。イギリスの「母の日」は日本と異なって、大斎節第四主日になるが、「父の日」は両国で同じ日に当たる。今年の「父の日」は六月二十日。イギリスで「母の日」は昔から教会で祝うが、「父の日」は比較的最近できたもので教会での関心は特にない。教会で「母」ということを考えると、イエスの母マリヤ、「父」と考えると「父なる神様」のイメージが浮かぶだろう。実は、子供にとって母親も父親も大切であると同様に、教会では「父」のイメージも「母」のイメージも必要だと思う。キリストの教会は時々「母なる教会」と呼ばれる。人は教会で母親のような寛容を感じられるべきではないか。そして神様ご自身が全人類の父親であるという事実は、特に自分の父親がいない人や父親との関係が悪い人にとって良いニューズとなるだろう。「父の日」はもちろん、まず第一に人が自分の父親に感謝する機会だ。教会はその目的を意に留め、皆の父なる神に感謝しよう。


2004年5月号

 今年の昇天日は五月二十日である。イギリスでは昇天日後の主日に伝統的な慣習がある。礼拝が終 ると、牧師、会衆、教会の聖歌隊とその周辺の子供達が行列をなしてその教会の「パリツシュ」の境を歩き回る。 パリッシュは一つの教会をとりまく伝道区である。イギリス全土は聖公会のパリツシユに分けられている。人は自分のパリッシユの境を歩き回るとその境の中に住む人々に対する関心が強められるだろうか。今もその慣習がある地方で守られている。さて、今年の聖霊降臨日は五月三十日である。昔のイギリスでは、その日は「ウイットサン」(意味=ホワイト・サンデー、「白い日曜日」)と呼ばれた。なぜなら、聖霊降臨日は洗礼を受けるに相応しい日と思われ、洗礼志願者は白い衣を着て教会までの道を行進をしたからである。残念ながら、現在その行列は見えない。しかし、異なる文化を持つ日本のクリスチャンも、 別の形でその様な「公の証」を示す事が出来る、だろう。(バスク)


2004年4月号

 もうすぐ教会の年のクライマックスがくる。聖週、受苦日、そして復活祭である。イギリスでは、復活日の次の主日は文字通りに、「低い日曜日」と呼ばれる。復活祭の「高い」喜びの後に、「低い」気分がくるだろう。今年の「低い日曜日」 ( 四月十八日 ) は別の意味で「低い」日になる。その日はドイツのナチス党のユダヤ人大虐殺殉教者記念日である。その記念日は毎年ユダヤ教の旧暦カレンダーによって変わるが、今年は偶然、復活祭の次の日曜日になる。非常に対照的な季節だと思う。我々クリスチャンは世の救い主イエスの蘇りを祝うすぐ後に、「キリスト教大陸」と呼ばれるヨーロッパで六百万人位のユダヤ人が虐殺されたことを思い出す。大虐殺殉教者記念日は教会暦に入っていないが、「昔」、「よそ」、「無視出来る」という問題ではない。そういう世の中にイエスがよみがえられた。我々の信仰がユダヤ教から生まれたものだから、復活祭の喜びがその背景を持っていることを覚えて祈ろう。( バスク )


2004年3月号

 イギリスでは、三月一日は聖デイヴィッド ( 日本語で「聖ダビデ」 ) の日と呼ばれる。そのダビデは旧約聖書に記されているダビデではなく、西暦六世紀に生きた英国、ヴェールズ地方の守護聖人デイヴィッドだ。聖デイヴィッドはその時代のヴェールズで、今でも人々の心に残る程の宣教活動をした。彼が創設した修道院の場所に、セイント・デイヴィッズ ( 「聖デイヴイツドの」 ) という町がある。その町の大聖堂はウェールズ聖公会セイント・デイヴイッズ教区の主教座聖堂で、聖デイヴィッドの墓もその中にある。尚、ヴェールズの国花である水仙は聖デイヴィッドと関係がある。英語で水仙は「ダッフォディル」というが、デイヴイツドという名前はヴェールズ語で「ダッフィド」といい、花の名前と守護聖人の名前が似ているということで水仙が国花になった。私の名前もデイヴィッドというので聖デイヴィッドが「僕の聖人」という思い入れがある。皆さん、自分の教名の由来をご存知かな。 ( バスク )


2004年2月号

 二月のことを考えると二つの特別の時期が浮かぶ。十四日はバレンタイン・デー 。そして二十五日は今年の灰の水曜日で、大斎節の初めの日。バレンタイン・デーは元々聖バレンタインの日と呼ばれ、バレンタインという殉教者の記念日である。バレンタイン本人について多くのことは知られていないが、ある伝説によると彼は三世紀の司祭だったという。その時代、兵士の結婚は禁じられていたが、バレンタインは一人の兵士の結婚式の司式をし、そのために殉教した。尚、昔、殉教記念日の二月十四日は鳥の雄と雌が共に巣を作る日と思われた。その二つの理由によりバレンタインは恋人の聖人となった。現在バレンタイン・デーは「甘い」イメージを持っているが、実はバレンタイン自身は「愛」のために自分を奉げた。灰の水曜日は同じ様な意味。神様の全ての人への愛を表すためにご自分を奉げたイエスの犠牲を忘れぬ様、私たちも大斎節にその「愛」を示すように努力したい。( 司祭バスク )


2004年1月号

 今年の正月も、「おめでとうございます」と挨拶を皆交わすが、今年を迎え世界には「おめでたい」ことが本当に与えられるかという心配があるだろう。どこを見ても、紛争や国の間の緊張が多い。
 一九三九年の年末、ヨーロッパは第二次世界戦争に陥ったばかりだった。イギリスではラジオが普及された時代から毎年クリスマスの日に国王の国民への教書が放送される。その戦争の最初のクリスマスには、ジョージ六世は M ・ハスキンズという詩人の言葉を引用した。「私は新年の門に立つ人に言った。『未知の所で安全に歩めるために、灯火をください。』彼は答えた。『暗闇に出かけて、自分の手で神様の手をとりなさい。それは灯火より良くて、知る道より安全になる。』」その言葉は人に強い印象を与えたので、その詩は装飾的な字を使って絵葉書として印刷された。祖母がその時買ったものを私は今大切に保管している。暗闇でも安心して神様の手をとり歩もう。


2003年の荒野の声
2002年の荒野の声
2001年の荒野の声

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