教区報「はばたく」に掲載のコラム
2010年バックナンバー

2010年12月号

 少し前に第一次世界大戦での実話を元にした「戦場のアリア」と言う映画を見ました。
一九一四年冬、西部戦線でフランス、イギリス連合軍とドイツ軍が数十メートルを隔てて対峙していました。

クリスマス・イブの夜、塹壕の中でイギリスの兵士が歌い出します。
それに対してドイツ軍の塹壕からは「きよしこの夜」が聞こえてきます。
それをきっかけにして、両軍の兵士たちが塹壕を出て来て、家族の写真を見せ合い友好を深めていきます。
さらにイギリスの従軍牧師の司式でクリスマスのミサを共にします。

その数日後に戦闘再開の命令が下りますが、お互いに撃ち合うことが出来ません。
この映画を見て真の平和を得るためには互いに、知り合い、認め合うことの大切さを実感しました。

  世界の紛争が続いている国々で、せめてイヴの夜だけでも平和な時が与えられることを願います。
 
 「地に平和」こそキリストが私たちに与えられたメッセージです。
そして私たちに託された使命でもあります。 (中島省三)

2010年11月号

 阿蘇の小国に小さな教会があります。
小国ルーテル教会です。この教会では聖公会の聖餐式も行われています。
通ってこられる信徒はかつて小国にあった宮原保育園の卒園生や小国に引っ越してこられたかたです。
少人数ながら、礼拝後のお茶の時間も楽しい語らいが続きます。

記録によれば一九二〇年頃から宣教師メイ・フリース等によって小国伝道が始まりました。
伝道所も作られ、さらに一九三四年に小国の宮原に保育園が設立されました。

日米戦争中、一時途絶えますが、一九五三年再び、小国伝道は再開されます。
最盛期の信徒数が二五名でした。一九七五年まで小国集会は続いたようです。
その後、家庭集会が守られて来ましたが、一九八一年にルーテル教会の信徒の方のお誘で協働の礼拝が始まりました。

神学校時代、ルーテル神学校とは聖餐式を共にし、交流会を持っていました。世界的にも聖公会とルーテル教会との協働が進んでいますが、小国ではすでに協働が行われています。 (中島省三)

2010年10月号

 左目の前に黒い綿のようなゴミが見える。
睫毛をこすっても、眼鏡をふいてもゴミは消えません。

慌てて眼科で詳しく診察してもらうと、飛蚊症という診断でした。
加齢によるもので、付ける薬もない、慣れるより仕方がないと言うことでした。診察の中で、目の中の水の循環が悪いことが分かりました。

このままでは緑内障になる可能性があるということで、レーザー光線で水の通り道を開けることになりました。

待合室で隣り合った高齢の女性と話が弾みました。
話によるとこの病院には16年間通っていること、10年前に乳がんで右胸を切除したこと、2週間前に白内障の手術を受けたことなどを平然と語るこの女性にたくましさを感じました。

病気と闘うということではなく、全てをありのままに自然体で受け入れていくことの大切さを学んだ気がしました。
神さまから与えられたこの身体です。加齢による身体の衰えはありのままに受け入れて行かねばならないのかも知れません。 (中島省三)

2010年9月号

 先月は日本の敗戦を通して平和について考える月でした。
戦争体験の語りや、記録、ドラマなどが数多く放送されました。

その中で沖縄の那覇中央教会の金城重明牧師の証言を聞きました。
金城さんは16歳の時、渡嘉敷島の集団自決の中で愛する家族に手をかけてしまいました。
戦後、「加害者」と呼ばれ、苦しみの中で自殺さえ考えるようになりますが、聖書に出会い「死」、「罪」、「救い」などの言葉に出会います。

またキリストの十字架の苦しみと、自分の苦しみを重ねることによって苦しみから逃れるのではなくて、苦しみを正面から受け止める事が出来るようになったと言うことです。

その後、沖縄キリスト教学院の立ち上げにも参加され、平和をつくり出すための教育に力を尽くされております。
被害者としての証言、加害者としての証言どちらも「戦争」の実態を明確に語っています。

私たちが平和をつくり出す者になるためには、これらの証言を傾聴し続け、正しく受け止める必要があります。 (中島省三)

2010年8月号

 梅雨の大雨の中、狭い道路での離合のためにバックの最中に駐車場に停車中の車と軽く接触しました。
「あっまずい。」と思いながら車から降りてみると、私の車の後ろのバンパーの白い塗料が少しはげていました。
相手の車は黒塗りの手入れが行き届いた車でした。前のバンパーの角の所に白い塗料が付いていました。

黒塗りの車だし、大切に乗っているようだし、大変な車に接触したなと逃げ出したい気持ちになりながら、駐車場のそばにあるアパートに持ち主を捜しに行きました。

呼び鈴を押すと、中から若い女性が出て来ました。
「表の黒い車はおたくのですか?」と尋ねると「はい私のですが」という返事です。
事情を話し二人で車の所まで行き、車の傷を確認しました。

「修理をして、その請求額を教えて下さい。」私の住所、電話番号を書いて渡しました。
30分くらいして電話がありました。「車の傷はたいしたことありません。今日の事は忘れて下さい。」
赦して貰う喜びを心から感じました。 (中島省三)

2010年7月号

 教区大会では朴主教と奥田牧師のお二人から、実践的な社会との関わりを学ばせていただきました。
さらにその体験としての夜間パトロールに参加しました。

公園や駅の片隅で私たちの到着を待っている皆さんに出会い、たくさんの「なぜ?」が浮かんできました。
憲法25条で保障されているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」とはこのことなの?

一緒にパトロールしている中に私と同年代の男性に出会いました。
彼は、かつては公園で2年半生活していたと言うことでした。
不況の波は下請けで働いていた彼を直撃しました。 そのため家族も失い公園での生活を余儀なくされました。

幸い奥田さん達の活動によって住む家が与えられましたが、皆に会うためにパトロールの手伝いをしていると言うことでした。
奥田さんが言う「ホームレス」と「ハウスレス」の違いが分かりました。

ハウスと共にホームが必要とされているのです。
私たちに出来る事は何かを考えさせられる体験でした。 (中島省三)

2010年6月号

 福岡教会での実習中にアルファ・コースに出会いました。以前にパンフレットを見たときは、キリスト教紹介のビデオの一つかなと思っていました。

実際に体験してそのイメージが一変しました。
キリストの福音を伝えるために綿密に練られたプログラムであることが分かって来ました。

食事から始まり、ビデオを見て、その内容について意見を出し合うという一連の流れの中で、キリスト、復活、信じる、聖書、祈り、導き、聖霊、伝える、癒し、教会、信仰生活と多岐にわたって、一方的な押しつけではなく、語り合う事によって学んでいきます。

教会の日常の営みの中で行われ、だれでも参加出来て、共に学び、笑い、食事を共にし、助け合い、何でも質問できる、その中から、初めての人も、すでに信徒となっている人もキリスト教への確かな学びを深めていくことが出来るのです。

宣教方法は時代と共に替わっていくのは必然です。
アルファは教会全体で取り組む確かな宣教の方法を与えてくれます。 (中島省三)

2010年5月号

 「部落問題に取り組むキリスト教連帯会議・九州」(部キ連・九州)の今年の現地研修は、被差別部落の歴史と現実に学ぶことを目的として、三月に鹿児島で行われました。
薩摩藩の八公二民という他の藩に類を見ない高い年貢の中で、たくましく生きて来た被差別の人々の生き様を学ぶ事が出来ました。

また今回は宗教弾圧も研修のテーマとして取り上げました。キリシタン墓地では、長崎四番崩れで薩摩藩に送られてきた「隠れキリシタン」三七五名の内、死亡した五三名の墓を訪れました。
粗末な石に十字を掘っただけの墓石もありました。

薩摩藩ではキリシタン弾圧と同じく浄土真宗の弾圧も行われました。
真宗の「生物の命は平等である」という信仰に危機感を抱いたからだと言われています。
真宗の信徒は柱の内側に仏像を隠し、洞を掘って「隠れ念仏」という形で信仰を守りました。

残存する洞に入ってみて、ローマのカタコンベの中で守り抜かれた信仰を思い浮かべました。 (中島省三)

2010年4月号

 高校の教員をしているときに、時おり生徒同士の殴り合いのけんかがありました。
話を聞いてみると、嫌なことをされ「やめてくれ」と言えず、我慢が出来なくなって殴ってしまったと言うことです。
そこでアサーション(自己主張)トレーニングを取り入れたことがあります。

このトレーニングでは、人間関係のタイプを、攻撃型、非主張型、他者受容的な自己主張型の三つのタイプに分けます。殴られる側で多いのは、相手の気持を考えずに,自分の気持や考えを一方的に押しつける攻撃型の子に多く、殴る側で多いのは、自己主張が出来ず、自分の気持ちをうまく相手に伝えられない非主張型の子に多い様です。

トレーニングでは、相手の立場を考えながら、自分の気持ちを素直に表現し、他者を受容しながら自己主張をする訓練をします。

立場を変えて考えるというメタノイア(悔い改め)に通じるところがあります。
新しい人間関係が出来る三月、四月に考えてみたい事です。 (中島省三)

2010年3月号

 三月三日といえば「ひな祭り」。もう一つ忘れてはならい「水平社宣言」の日でもあります。
水平社宣言は日本の人権宣言とも言われています。それまで人権ということから遠く離されていた被差別部落の人々が一九二二年京都の岡崎公会堂で全国水平社を創立し、その場で読み上げられました。
その起草者は西光万吉という奈良の被差別部落の青年でした。

この宣言のなかで、西光は「同情や憐れみでは差別は解消されない。人間どうしがを尊敬し合う事が差別からの解放への道である」「殉教者がその荊冠を祝福されるときが来た」とし、「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と結びました。

西光は仏教徒でしたが、聖書の出エジプト記やイエス・キリストの荊冠に解放の姿を見いだしました。
ついには水平社の旗印として、荊冠を用いたのでした。
創造主から与えられた人権とは?解放とは?クリスチャンが最も学ばなければならないテーマの一つではないでしょうか。 (中島省三)

2010年2月号

 福岡難民裁判の判決がこの2、3月に相次いで出ます。
ビルマ(ミャンマー)軍事政権に対する民主化闘争の中で、祖国を追われた若者たちを、難民として認めるように日本政府を相手に始められた裁判です。

ビルマでは少数民族のイスラム教徒のロヒンギャ族、キリスト教徒のカチン族などを国民として認めず、迫害が公然と行われています。

民主化を求めてデモに参加したり、大学構内でビラ配布中に、後ろにいた先生の密告で追われる身になった少数民族の若者が、必死の思いで日本に逃れてきましたが、日本政府は難民として認めようとしません。

この裁判の弁護を日本の若い弁護士のグループが無報酬で引き受けています。
その中の、女性弁護士さんの「人の役に立つ事をしたかったのです」という言葉を聞いて、私も頑張らねばという気持ちになりました。
レビ記19章10節の寄留者への神の配慮を実現するために、濱生司祭と、毎回、支援の傍聴に出かけています。(中島省三)

2010年1月号

 新しい年を迎えて、皆さんの教会でも、新しい年の聖句や教会の目標が掲げられ、新年への抱負が語られていると思います。

三浦綾子の「塩狩峠」では、主人公の永野信夫は洗礼を受けて以来、新年ごとに「遺書」を書き改め、それを肌身離さず持っていました。
その内容は信仰告白と葬儀の方法について述べられています。

信仰告白については、「一、余は感謝して全てを神に捧ぐ。
一、余が大罪は、イエス君に贖われたり。諸兄姉よ、余の罪の大小となく凡てを許されんことを。
余は、諸兄姉が余の永眠によりて天父に近づき、感謝の真義を味ははれんことを祈る」と書かれています。

このことから、「耶蘇」とよばれ、迫害を受けていた時代のクリスチャンが「荒れ野の声」として生きることを決意していたことを知ることができます。

宣教一五一年が「荒れ野の声」を響き渡らせることの出来る年となりますように。 (中島省三)


2009年の荒野の声
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