目を上げて

教区報に毎月掲載されるルカ武藤謙一主教のメッセージ
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2013年バックナンバー

2013年12月号

 教会の暦は新しい一年が始まり降臨節を迎えます。
降臨節になると毎年思い出すことの一つをご紹介します。

もう二十年以上前のことですが千葉県の銚子諸聖徒教会にいた時のことです。
アドベントリースを作りたいのですが もみの木がありません。ある方が代わりに千両を使ったらどうかと提案してくれました。

柊に似た形の緑の葉と赤い実は確かにアドベントリースにも使えそうです。
幸いなことに利根川の向こう側、 茨城県波崎町は千両の栽培が盛んな地域であり、信徒の親戚の方から少し分けていただくことになりました。

教会に持って来られた千両は数も十分でしたし、何よりも立派なものです。
こんな上等なものをいただいていいのかと 聞きますと、親戚の方が「神様のために使う物だから一番いいものでなければだめだ。」と言って渡してくれたと言う のです。
その方のおかげで素晴らしいアドベントリースを飾ることができました。
そして翌年からもわたしが銚子を 離れるまで毎年素晴らしい千両をいただきました。

「神様のために使うから一番良いものを。」 クリスチャンではありませんがその方のこの一言が忘れられないのです。

尊いものに対する畏れの心をもち、それを当り前のことのように言って差し出してくださる。すごいなと思いました。

わたしはいつも「神様のために一番良いものを」と考えているだろうかとも反省させられます。
降臨節を迎えて今年もまた皆さん、プレゼントをあれこれ考えることでしょう。
ご両親のため、連れ合いのため、 子どもたちのため、友人のため等々…。

どうぞ一所懸命考えて良い贈り物を用意してください。
そして何よりも神様に対して「最も良いものを」 用意したいものですし、信仰生活の新しい一年の歩みの中に保ち続けたいものです。

2013年11月号

 ある日夕刊を見ると一面に「長崎くんち」の写真と記事が目に止まりました。
江戸時代から続く諏訪神社の祭典であるとのこと、数日前には宗像大社の秋季大祭の「みあれ祭」の写真と共に掲載されていました。
平安時代からのものとのことです。

 この夏には誘われて博多山笠の追い山笠ならしを見に行きました。
歩道の最前列で見ていた妻は「こんなにたくさんのお尻を見たのは初めて。
博多の男の人はお尻がきれいでないと駄目ね。」と言っていましたが、これも十三世紀半ばからの伝統あるお祭りとのことです。

 九州各地には長い歴史をもったお祭りが多いなと思いながら、ふと「いっしょに歩こう!プロジェクト」のDVDの中で「わたしたちは二千年にわたって主イエスの十字架の死と復活を記念し続けているのです。
被災者のことを忘れずに覚え続けてほしい」と言われていた東北教区の加藤博道主教の言葉を思い出しました。

 わたしたちが毎週捧げている聖餐式、これは二千年前の主イエス・キリストの十字架の死と復活を記念する感謝・賛美の祭です。
「くんち」や「山笠」や他のお祭りのように大勢の人が来るわけではありませんし、それがマスコミに取り上げられることもほとんどありません。
でも毎週、毎週、九州各地で、また日本各地で、世界中で祝われている祭であり、しかも二千年間ずっと守られてきた祭なのです。
そう考えたらわたしたちが聖餐式を捧げていることは本当に大切なことなのだと改めて思わされます。

 博多では山笠に一所懸命になる男の人のことを「のぼせもん」と言うのだそうです。
わたしたちは二千年の歴史をもつ聖餐式を捧げる「のぼせもん」であり続けたいものです。

2013年10月号

 九州教区に来てからの楽しみの一つは、毎月第三木曜日に捧げられる教役者逝去者記念聖餐式です。
わたしにとってはどなたも知らない先輩ばかりですが、その月の逝去者の名前を挙げて魂の平安を覚えてお祈りし、同労の司祭たちの説教を聞きます。
また礼拝後には出席者と一緒に昼食を食べながら個人を偲びます。
百二十年になろうとする教区の歴史がありますから、名前だけでその人となりを誰も知らない方々もいますが、故人のご家族や信徒の方からいろいろなエピソードをお聞きし、教役者としての信仰や働きを教えていただき、より故人に親しみを感じるようになっています。
時には案内をお送りしたご家族からお手紙と一緒にその方について書かれたものをいただくこともあり、そんな時には皆さんにも紹介したりしています。
経済的にも貧しかった時代の先輩聖職のエピソードに感動したり、涙したり、時にはみんなで笑ったりすることもある楽しい一時です。
それは同時にわたしたちの教区には本当に多くの働き人が与えられ、その方々の働きがあって現在の九州教区があることを覚える一時でもあります。

 ひとつひとつの教会にとっても同じことが言えるのではないでしょうか。
それぞれの教会の歴史の中でそこに遣わされた教役者たちと信徒たちによって守られ支えられて今の教会があります。
教区全体ではどれだけの人数になるのかわかりませんが、多くの先輩たちがすでに天に召されています。
その中には名前しか分からない方々もたくさんいると思います。そのような方々をも含めてお一人おひとりの魂の平安を覚えたいものです。

 まもなく諸聖徒日、諸魂日を迎えようとしています。
それぞれの教会でどのようにこの祝日が守られているでしょうか。
天に召された方の家族だけでなく、多くの信徒の皆さんで世を去った「兄弟姉妹」の魂の平安を、感謝をもってお祈りし、またよい信仰の模範に倣って、主イエス・キリストの福音を宣べ伝える想いを新たにする時となることを願っています 。

2013年9月号

 例年になく猛暑の夏、元気にすごされたでしょうか。
夏のプログラムも無事に終わったことでしょう。
九州教区では、日本聖公会の「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」の協力によって、放射能汚染のゆえに不自由な生活を強いられている福島の親子を高島に迎えるプログラムが実施されました。
わたしも長崎原爆記念礼拝のために前日(八日)から長崎に行くことになっていましたので、その日の昼間に高島に行きました。
その時に福島から来られていた皆さんは朝から海に行かれ、心身ともに伸び伸びと楽しそうに豊かな自然を満喫しておられ、高島に来たことを喜んでおられました。
それだけに日ごろの福島での生活が厳しいものであり、放射能という見えない恐怖に不安や不自由を感じておられることを感じました。
このプログラムのために教区内の多くの皆さんがお祈りくださり、またご奉仕してくださり感謝です。

その日の夜は長崎県宗教者懇話会主催の長崎原爆殉難者慰霊祭に出席しました。
長崎市内のさまざまな宗教が一緒になって原爆殉難者を慰霊する礼拝です。
それぞれの宗教の代表者、また行政の代表者が慰霊の言葉を述べ、また開会の言葉などを通して犠牲になった方々の魂の平安を祈り、また核兵器廃絶、平和の尊さを語られました。
しかしどなたも福島第一原発事故のこと、放射能汚染のことには一言も触れられないままです。
一時間半にわたる慰霊祭の最後に長崎聖三一教会の堀尾憲孝司祭が「閉会の言葉」を述べられました。
福島第一原発事故のことに触れられ、未だに事故が終息しておらず、多くの方々が苦しんでおられること、人が制御できないものを用いてはならないこと、信仰者としてそれぞれの教えに基づいて、絶対者のもとで謙虚に生きるよう自らの生き方を問い直すことが必要であることを明言し「閉会の言葉」としました。
出席していた長崎の教会の信徒の方も感心しておられましたが、わたしも堀尾司祭の言葉を聞いて本当に嬉しかったです。
きっとこの慰霊祭に参加しておられた方々の心にも響いたことでしょう。
日本聖公会はすでに「原発のない世界を求めて~原子力発電に対する日本聖公会の立場~」という総会決議をし(二〇一二年第五十九(定期)総会)、便利性や快適性を求めてきたわたしたちのライフスタイルを転換すること、また苦しみや困難を抱えている方々と痛みを分かち合い、学び合い、愛し合って生きる世界を目指すことを表明しています。
福島の皆さんを迎え、わたしたちの生き方が問われていることを改めて感じさせられました。

2013年7、8月号

福岡聖パウロ教会の聖堂正面にあるステンドグラスはヨハネによる福音書十一章にあるラザロの死をテーマにしたものです。
左側に家の中に落胆して座り込んでいるマリアと彼女を慰めているマルタがおり、右側には家の外にイエス様が立っています。
朝の礼拝の前にこのステンドグラスを見ながら短時間ですが黙想しています。
毎日見ていますといろんなことに気付かされます。

最近の気づきは三人の視線です。ラザロの死を悲しむマリアは落胆して視線をマルタは家の外におられるイエス様に視線を向けています。

そしてイエス様の視線は、自分を見ているマルタにではなく、落胆しているマリアに向けられています。

つまり三人の視線は全く合っていないのです。
特にイエス様の視線がマルタではなくマリアに向けられていることは興味深いと思います。
イエス様を見上げることもできないほどに落胆しているマリアにこそイエス様のまなざしは向けられるの
です。
本人がそれと気づいていないとしてもです。

わたしたちが神様に向けて目を上げることができないような絶望や悲しみ苦しみのうちにおかれていても、確かにそこにイエス様のまなざしが注がれている、神様の視野からどんな時にもわたしたち一人ひとりが外されることはない、そんなことを思いました。
ヨハネによる福音書では、イエス様はマリアたちが泣いているのを見て、心に憤りを覚えられ、涙を流されたと記されています。
イエス様の涙はマリアの悲しみ痛みへの共感故ではなかったかと思われます。

三人の視線は合っていませんが、イエス様とマルタとマリアは一つにつながっているように見えるのはマルタがいるからでしょう。
片手をマリアの方に置き、しっかりとイエス様を見つめています。
マリアに代わってイエス様に訴えているようにも見えてきます。
イエス様のマリアへのまなざしは、このマルタのマリアを思う気持ちに応えるものでもあるように感じてきます。
わたしにも誰かがわたしに代わって目を上げていたことがあったかと考えてみたりもしました。

2013年6月号

四月二十八日〜二十九日に今年の召命黙想会が湯布院の修道院を会場に行われました。
わたしにとっては初めての召命黙想会でしたが、九名の方々が参加してくださり、証しをしてくださる方々、スタッフを加えると二十名程になりました。

由布岳を見上げる静かな別荘地にある修道院で、沈黙の中で証しを聞き、黙想し、共に祈り、聖書に聴く短いけれども豊かな時間を過ごすことができました。
参加者は年代も幅広く、初めての方から毎回のように出席されている方もおられたようですが、一人ひとりが神様からの呼び掛けに耳を傾け、また自分自身の在り方に思い巡らしたことでしょう。教会の働きは多様です。

いろんな働きがあり、どの働きも尊いのです。そしてその多くは信徒の皆さんによって担われています。
それぞれの教会において一人ひとりが主体的に奉仕の業に関わり、仕える喜びをますます味わってほしいと思います。

同時に聖職への召命についても他人事としてではなく、自分自身のこととして思い巡らしをしてほしいと願います。五月、六月には大阪教区、中部教区、横浜教区で聖職按手式が行われるとの公示が届きました。

按手される方々の多くは社会人を経験して聖職になられた方です。ある方は定年退職されてから伝道師を志され、今回執事に按手されます。
信徒の奉仕の業が多様であるように、聖職としての働きもまた多様です。
七十歳という定年はありますが、聖職への召し出しに年齢は関係ありません。
もちろんそれは自分がなりたいからというのではありません。
日々の祈り、礼拝生活、信仰生活の中で、召され呼ばれるものです。
わたしたちの教区には「聖職に召される人が与えられるため」という特別なお祈りもあります。
わたしが福岡に来て間もなく、ある方が「これはずっと聞かれないお祈りです」と教えてくださいました。
みんなでお祈りし、聞かれないお祈りが聞かれるお祈りになることを願っています。

2013年5月号

「おはようございます」と毎朝挨拶を交わしていましたが、その挨拶ができなくなりました。十四年間、九州教区主教として働かれた五十嵐主教さまがとうとう退職されました。

四ヶ月間、いつも側でその働きを学ばせていただく機会を与えられたことはわたしにとって本当に有難いことでした。
退職前の最後の働きが延岡の教会での復活日の聖餐式でしたが、そのことも五十嵐主教さまは最後まで祝福されておられるなと思いました。

そしてそれ以上に素晴らしいと感じたのが聖木曜日の洗足式でした。主イエス様が十字架にかかられる前夜、食事のときに弟子たちの足を洗われたこと(ヨハネによる福音書十三章一節以下)を記念して行われる礼拝です。
五十嵐主教の最後の洗足式ということもあったのでしょうか、当日は四十名程の方が礼拝に出席されました。
洗足になると、祭壇の前で膝まづいて待つ五十嵐主教のもとに希望者が一人ひとり静かに進み、足を洗ってもらいます。
足を洗いながら唱えるのは「わたしは新しい戒めをあなたがたに与える。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ十三章三四節)という聖書のみ言葉です。
李司祭のお子さんヒョウンちゃんの小さな足を洗い、丁寧にタオルで拭かれるその姿は、仕える者としての主教職をそのまま表しておられるようで、胸が熱くなりました。
「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」と弟子たちの足を洗われたイエス様は言われますが、その互いに愛し合う姿、仕え合う姿をそこに見たように感じたのです。

「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちのうちで全うされているのです。」(Ⅰヨハネ四章十二節)
五十嵐主教さまがわたし たちに残してくださった最後の聖書の言葉です。
五十嵐主教さまを通して与えられた多くの恵みに改めて感謝し、わたしたちに示してくださった信仰を大切にして歩んでまいりましょう。

教区主教に就任しました。改めて、皆さんどうぞよろしくお願いいたします。

2013年4月号

 これまで『土の器』というタイトルで五十嵐主教が書かれていたこの欄を引き継ぎました。
タイトルも変えてくださいと五十嵐主教からも言われ、また編集者からも言われました。
どんなタイトルがよいか考えたのですが、『目を上げて』とすることにしました。
これは詩編一二一編一節の最初の言葉です。わたしが育った山梨県清里のキープ協会の入り口には「我、山に向かいて目を上げん、我が助けはいずこより来るべきぞ」とこの詩編の一節が刻まれた門柱があります。
キープ協会を設立したポール・ラッシュ博士の愛唱聖句です。そしてまたわたしにとっても大切な聖句の一つです。

昨年七月の主教選挙で選ばれたことを知ってから福岡に来て主教に按手されるまでの間、聖堂で黙想するときに、この詩編をずっと想い巡らしていました。
清里はわたしが高校を卒業するまで過ごした故郷でもあり、また牧師として十年近く働いた場です。
詩編の一節一節ごとに八ヶ岳や富士山、雪に覆われた牧草地など清里の自然や風景、そこに住む人々の姿が思い浮んできました。
そして昼も夜も、どんな時にも共いてくださり、すべての災いから守り、命を支えてくださると力強く歌うこの詩編に励まされ、自分の力や能力にたよるのではなく、本当に神様に信頼して主教としての務めを果たすのだという思いを深めて福岡に来ることができました。

四月から教区主教に就任しました。
これからの日々のなかで大変なこと、困難なこと、もうダメかと思うような時があるかもしれません。
そんな時に下を向いてあきらめたりすることのないように、むしろそんな時にこそ、しっかりと目を上げて、わたしたちの命を支え、導き、守ってくださる神様に信頼することができるよう、自分に言い聞かせる思いも込めて『目を上げて』というタイトルにしました。

いつも「目を上げて」主の御顔を仰ぎつつ、皆さんと共に喜びのうちに歩んでまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

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2013年の「目を上げて」


E-mail: d-kyushu@ymt.bbiq.jp


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