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教区報に毎月掲載されるルカ武藤謙一主教のメッセージ
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2019年バックナンバー

2019年12月号

 直方キリスト教会は毎年教会訪問をして、訪問先の教会の皆さんと主日礼拝を共にしています。
今年の教会訪問の主日、直方キリスト教会にはKさんが残り、み言葉の礼拝を守ることになりました。
教会訪問が終わった後で、Kさんに「どなたか礼拝に来られましたか」とお尋ねすると、「誰も来なかったので一人で礼拝しました」とのこと、「では礼拝も早く終わりましたね」と尋ねると、「いや、それでも一時間はかかりました」との答えが返ってきました。

Kさんは、準備された勧話もなさり、お一人で聖歌も四曲とも用いたのだそうです。
「最初の聖歌三〇八番はわたしの知っている大好きな聖歌なので歌うことができました。それ以外の三曲は歌えなかったので、歌詞をゆっくりと唱えました」とのこと。
それで一時間かかったというのです。
出席者が誰もいなかったから短い時間で終わると考えていた自分が恥ずかしくなりました。
同時に教区主教として、このように礼拝を献げる信徒がいることが嬉しくまた誇らしく思いました。

 聖堂でただ一人、丁寧にゆっくりと祈りを唱え、聖書を朗読し、準備した勧話を語り、聖歌を一所懸命に歌いまた唱えるKさんの姿が思い浮かびます。
大勢の礼拝出席者がいて、素晴らしい奏楽に合わせて力強い賛美の声が響く礼拝も素晴らしいと思いますが、直方キリスト教会のこの礼拝もまた本当に尊く素晴らしい礼拝だと思うのです。
きっと神様はこの礼拝をも喜んでお受けくださったことでしょう。

 福岡聖パウロ教会の土曜日の夕の礼拝、司式者の牛島幹夫司祭は必ず「明日の日曜日、各教会で司式、説教や勧話の奉仕をする聖職と信徒の方々に聖霊の導きがあり、神様の福音を伝えることができますように」とお祈りしています。
わたしも、聖職だけでなく信徒の皆さんによって主日の礼拝が守られていることを覚えながら「アーメン」と唱えています。

 教会の暦は新しい一年を迎えますが、新しい年も丁寧に心を込めて感謝・賛美の礼拝を献げ、神様のご栄光を現してまいりましょう。

2019年11月号

 記念礼拝を行う予定だった九月二十三日、わたしは教区事務所でこのメールを初めて読みました。

 「主の平安。九州教区では、明後日九月二十三日(月・祝)に、教区設立一二五周年記念礼拝を福岡聖パウロ教会(主教座聖堂)で行うことになっていました。
その礼拝には教区内の諸教会から聖職・信徒、またフィリピンや釜山からも主教たちが参加することになっていました。

 しかし、台風十七号の接近により、昨日の時点で中止が決まり、明日の各教会での主日礼拝で、一二五周年の特祷を祈り、五十嵐正司主教の説教、また植松首座主教のメッセージが読まれることになりました。
長い時間をかけて準備され、多くの人々が集まる予定の教区礼拝でしたが、何よりも人々の安全を考慮した決断でした。
どうぞ明日の主日礼拝の中で、『今日、教区設立一二五周年を記念して礼拝をささげている九州教区のために』と代祷をおささげくだされば幸いです。主教ナタナエル」

 これは北海道教区の教役者宛てに送られた植松誠主教のメールです。
二十二日にわたしたちは各教会で教区設立一二五周年を覚えて祈り、五十嵐正司前主教の説教、植松誠首座主教のお祝いのメッセージが読まれましたが、同じ日に、わたしたちが知らないところで、北海道教区の皆さんがわたしたちのために代祷を献げていてくださったのです。

 記念礼拝中止の決定は安全のため仕方がないと理解しつつ、わたしは心が萎えそうな思いでした。
しかしこのことを知って、ただただ驚き、また心から嬉しく感謝でした。
その夜、このメールを読んだ連れ合いは涙声で「あなた、よかったわね」と一言。
わたしももう一度この思いがけない恵みに感謝でした。

2019年10月号

 カトリック新聞に「カトリックへの提言」という欄があり、他宗教間対話研究所長をされている曹洞宗の住職の記事が載っていました。
この方は仏教寺院の後継者という立場でありながら上智大学の哲学科で学ばれたとのこと。
大学生時代に何人かの友人がカトリックで洗礼を受けたが、その人たちに共通していたのは、教義に納得する以前に神父様方の人間性に感化されたように見受けられたことだそうです。
そして「宗教は人から人に伝わるもので、伝える人に魅力がないと伝わらないということかもしれない」として、多感な青春時代に神父様方と接して真の宗教者の条件として三つのことに気がついたとのことです。
一つは、明るいということ。
二つ目は、相手が浮かない顔をしているときに、「今日はどうかしましたか」と声を掛ける積極的な優しさがあるということ。
三つ目は、他人には寛容であっても、自分自身の信仰に関しては厳しい、というもの。

 「信仰の喜びが自ずとにじみ出てくるような日常の生き方。さらには困っている個々の人に向き合っていく努力。」
そうした日常の姿勢が求められているのではないかと指摘されています。

 「あなたはいつも眉間に皺を寄せて怖い顔をしている。」
「あなたはちっとも優しくない。」
「人には厳しいくせに、どうして自分にはそんなに甘いの。」
連れ合いからしばしばこう指摘されることを思い出し、何とも情けなくなるのですが、背筋を正される思いをしたことでした。

2019年9月号

 この夏は猛暑の日々が続いています。
天気予報では関東地方では最高気温予報が四十度と報道されています。
皆さんお元気にこの夏を過ごされたでしょうか。

 今年も八月六日には広島平和礼拝に出席し、九日には長崎原爆記念礼拝を献げました。
長崎では福音書朗読後、窓を開けて黙想しながら十一時二分を待ちます。
外の熱い空気が騒音と共に聖堂の中に入ってきます。
そして船の汽笛がその時を告げます。
七四年前のこの時刻に、大勢の人たちの命が一瞬にして奪われたことを想像すると、何とも言えない気持ちにさせられます。
広島でも長崎でも今もなお、心や体に癒されない傷を負っておられる方もたくさんおられます。
原爆だけでなく、先の戦争によってどれほど多くの命が犠牲となり、今も苦しみや痛みを負っておられることでしょう。
二度と戦争を繰り返してはならないと改めて思わされました。
また教会はキリストの福音に基づいて平和の課題に取り組んでいかなければならないことも意識させられました。
長崎原爆記念礼拝は「死の同心円から平和の同心円へ」をテーマとしていますが、一人ひとりが平和の同心円を広げていくことは、被爆地長崎をもつ九州教区にとっては大切な宣教の課題です。

 この夏、わたしにとって嬉しかったことの一つは、四つの教会で洗礼・堅信式や堅信式があったことです。
今回は特に十代の人たちが多くいたことに励まされました。
これから教会や教区の交わり、さらに他教区、海外の教会との交わりを通して、平和の器として成長していってほしいと思います。
また教区日曜学校合同キャンプが開催されたことも嬉しいことでした。
すでにこの欄でも記したことですが、青少年の育成は教区の重点課題の一つです。
それぞれの教会で、青少年のために何が必要かを皆さんで話し合ってくださるようお願いします。
平和を希求することと青少年の育成は深くつながっている宣教の課題です。

2019年8月号

 〝六二三、八六八九八一五、五三に繋げ我ら今生く〟
たった一度だけのご縁にも関わらず、聖公会神学院で説教学を教えておられる上林順一郎牧師から著書を贈っていただきました。
帯書きには「五十年にわたる牧会の旅の終着点に編まれた、説教・随筆・講演集」とあります。
この本の最後の文章で紹介されていたのが冒頭の歌で、二〇一一年の朝日歌壇賞に選ばれた歌の一つだそうです。

 六二三は六月二十三日で沖縄戦が終結したとされている日、八六は八月六日の広島原爆投下の日、後はもうお判りでしょう。
八九は長崎原爆投下の日、八一五は敗戦の日、五三は憲法記念日です。

 上林先生が、教会が平和を覚えて祈るのは、単に犠牲者の慰霊の日としてではなく、国家に協力し戦争に加担した歴史と責任をしっかりと顧み、平和を実現するための具体的な行動をなす日にすべき、と語っておられるのが印象的でした。
牧師としての最後のメッセージが平和の課題であることにも感動を覚えます。
平和の君イエスを救い主と信じる信仰の故でしょう。

 教区では今年も長崎原爆記念礼拝が行われます。
どうぞこの時に心をお寄せください。
それぞれの教会においても平和のため、また戦争の犠牲者を覚えて祈られることでしょう。
それは、わたしが今をどう生きるか、どう行動するかを自らに問い、またどなたかと思いを分かち合い、思いを新たにすることでもあるのです。
平和の器として整えられる夏を過ごしたいと願っています。

2019年7月号

 一二九三、六八三、一〇、八。これらの数字が何か分かりますか?
これらの数字は二〇一八年の九州教区の統計表の数字です。
一二九三は現在信徒数、六八三は現在堅信受領者数、一〇は洗礼を受けられた方の数、最後は堅信受領者数です(ちなみに日本聖公会全体では現在信徒数は二九八四七人、堅信受領者数は二〇〇名です)。

 九州教区は二〇の伝道所・礼拝堂、関連施設として五つの幼稚園・子ども園、そしてリデルライトホームがあります。

退職司祭を含めて一五人の聖職が働き、二名の聖職候補生がいます。
これがわたしたち九州教区という家族の一つの姿です。

 すでに今年の一月号のこの欄に記したことですが、今年は教区設立一二五周年です。
来る九月二十三日には主教座聖堂で記念礼拝を献げることになっており、間もなく詳しい案内も各教会に届くことになっています。

このことは多くの方がすでにご存知だと思いますが、主教巡杖のときにこのことをお話しすると、初めて知ったかのように手帳に書き込まれる方も少なくありません。
教区報にも毎月記念礼拝の案内が掲載されていますが、この日に一人でも多くの方々とご一緒に感謝・賛美の礼拝を献げることを願っています。
さまざまな事情で参加できない方もおられることでしょう。
その方々も賛美と祈りを合わせてくださるようお願いいたします。
熱い祈りと主への賛美は九州教区が受け継いできた賜物の一つです。
神の家族がひとつであることの恵みと喜びを共に分かち合いましょう。

 「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編一三三・一)

2019年6月号

 四月に五十嵐主教様から「立教学院史研究」(第一六号)が送られてきました。
中島一仁氏の論文、「日本における聖公会初の受洗者・荘しょう村むら助すけえもん右衛門 ─その人物像とウィリアムズとの交友をめぐって─」が掲載されており、九州教区にとっても貴重な歴史資料になるでしょうと、立教学院史資料センターのご厚意でいただいたものです。
荘村助右衛門に関しては「日本聖公会九州教区史」にも記されていますが、改めて彼がどのような人物であるかを知ることができました。

 ウィリアムズとの出会いは、一八六三年八月とのことです。
ウィリアムズから聖書の話しも聞いたようですが、同時に肥後藩の砲術の専門家として軍事書の写しを求め、また当時の政治情勢についても情報を得ていたようです。
彼はずっと長崎に滞在していたわけではありませんが、一八六六年(慶応二年)二月ウィリアムズから洗礼を受けます。

 この論文では「荘村の受洗の前後を振り返ってみると、彼は藩のために西洋砲術の導入と政治情報の入手に文字通り駆けずり回っており、着実に手柄も挙げていたと言えよう。やはり受洗が現代人が考えるような宗教的理由からであったとは考えにくい。しかし一方で、ウィリアムズから何かを得るための『取り引き』として受洗したというようなこともないであろう。なぜなら、既に見たようにそうせずとも荘村はウィリアムズから重要な情報を現に得ていたし、軍事書も手に入れていたからである。」
としています。

 読み終わってウィリアムズ主教のことを思いました。
キリスト教禁令の高札が掲げられている時代、公けに伝道活動ができないまま来日して七年目に得られた初めての受洗者です。
生涯忘れることのない洗礼式となったことでしょう。
また受洗の前も、後もきっと彼のために祈り続けられたことでしょう。
一人の人が洗礼を受けることは本当に尊いことであり嬉しいことです。

2019年5月号

 聖公会神学院とウイリアムス神学館から、それぞれ入学礼拝の案内が各教会にも郵送されてきました。
今年それぞれの神学校に一人ずつ新入生が与えられました。
ウイリアムス神学館に入学するのは九州教区の聖職候補生、佐藤充さんです。
聖公会神学院で学ぶ九州教区のもう一人の聖職候補生島優子さんはこの四月から三年生になり、神学校での最後の一年を迎えました。

 礼拝・学び・生活を通して自らの聖職としての召命を確かなものとし、聖職として立てられるために備える神学校での日々は、貴重な体験や学び、出会いに恵まれた豊かな日々ですが、時には厳しく辛く感じるときもあり、召命感を揺すぶられるような葛藤に苦しむこともあります。
これからの一年間、二人の神学生のうえに神様の恵みが豊かにありますようお祈りください。
九州教区に複数の神学生が与えられたのは何年ぶりのことでしょう。
本当に主に感謝です。

 ご存知のように聖職の数は決して十分ではありません。
今月二日から四日にかけて召命黙想会が行われますが、二人に続く聖職に召される人が与えられますよう皆さんのお祈りを改めてお願いいたします。
また各教会には神学生後援会からの報告とお願いが届いていることでしょう。
神学生後援会の働きにもご協力ください。

 復活節第四主日(今年は五月十二日)は「神学校のために祈る主日」です。
聖職を養成するという尊い働きを続けておられる二つの神学校のためにも心を込めて祈りたいと思います。

2019年4月号

 大斎節も半分が過ぎました。
まもなく聖週を迎えようとしています。
今年、主日の福音書はルカによる福音書が読まれていますが、ルカによる福音書の受難物語には、他の福音書にはない表現が幾つかあります。

 その一つは十字架につけられたイエスが「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈っていることです( ルカ二三章三四節)。
また一緒に十字架につけられた犯罪人の一人が、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言ったのに対して、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(四三節)と言われます。

ルカはイエスの十字架の死は、人々の罪の赦しのためであると理解し、そのことを強調しているようです。
「赦す」と訳されている言葉は「アフェシス」という語で、「自由」「解放」という意味もあります。
人が真に自由に自分らしく在るためには、赦しが必要なのです。
赦されることと同時に赦すことも必要です。

 赦すことは決して簡単なことではありません。
「赦せない」との思いを捨てきれないこともあるでしょう。

時間が必要なこともあります。
さまざまな葛藤があるでしょう。
だからこそ、これから迎える聖週間、復活の最後の備えの時、イエスの十字架をしっかりと仰ぎ見、赦しについて思い巡らしたいものです。
主イエスはわたしたちの罪の赦しのために十字架上に死んでくださったのですから。

2019年3月号

 先月、釜山教区を訪問し、釜山教区主教座聖堂での聖餐式のなかで協働関係の調印式を行いました。
今回の訪問で二枚の古い写真のコピーをいただきました。
一つは一九一一年に撮影されたもので着物姿の日本人の子どもたちと塩崎信吉司祭が写っています。
もう一枚は朝鮮聖公会第三代主教マーク・トゥロロプ主教と塩崎信吉司祭と日本人会衆、そして韓国人のチョイ伝道師が写っているものです。
韓国併合後、釜山の教会は日本人会衆のための教会だったことが分かります。
調印式の翌日にお訪ねした大邱(テグ)教会も最初は日本人のための教会だったとのことでした。

釜山教区にはもう一つ尚州(サンズ)教会もそうだったと聞いています。
当時、日本から派遣された聖職たちは韓国にいる日本人への伝道や牧会を中心としており、韓国の人たちへの働きかけはほとんどなされていなかったのです。
そして日本の敗戦後、日本人が引き揚げてからそれらの教会は韓国人の教会となったのです。

 李相寅司祭が作ってくださった釜山教区の教会を紹介する冊子には、各教会の宣教開始(「設立」と記されていますが)年代が載っています。
それには釜山教区主教座聖堂は一九〇三年となっており、大邱教会も尚州教会も同様に日本人教会であった時の年号が記されています。
日本人のための教会であっても神の教会として宣教の歴史として受け留めておられるのです。
釜山教区の皆さんの信仰と歴史の痛みを感じます。
今年は三・一独立宣言から百年です。
日韓の歴史を踏まえつつ、両教区の交わりが深まることを願っています。

2019年2月号

 わたしが牧師をしている福岡ベテル教会では、地域の人びとが教会に来てくださることを祈りつつ、今回もクリスマス礼拝の案内を配布しました。
パソコン教室で習う信徒の方がチラシを作り、別の信徒の方々がご近所にポスティングします。
クリスマス・イブ礼拝当日、誰か来てくださるかとドキドキしながら待っていると一組の夫婦が来てくださいました。
礼拝が始まって間もなく、今度は小さなお子さん二人を連れた若いご夫妻も来てくださいました(お子さんがぐずり始めて途中でお帰りになりましたが)。
信徒数も少なく決まった顔ぶれで礼拝していますから、出席者のほぼ半数が初めての方々という状況に、信徒の皆さんも少し緊張気味でも嬉しそうでした。
翌日のクリスマス礼拝、今日はもうどなたも来られないだろうと思い、説教も信徒の皆さんの顔を思いながら準備していたのですが、礼拝直前にご近所の方がお一人来てくださったのです。
とても嬉しい反面、準備した説教を捨てて説教台に立つことになりました。
嬉しいハプニングです。

 教会に来てくださった方々がどんな印象を持って帰られたのか分かりません。
また継続して来られるかどうかも分かりません。

しかしわたしたちにとっては何よりのクリスマスプレゼントでした。

 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(コリントの信徒への手紙一 三章六節)とパウロが語るように、収穫の主に信頼し、時がよくても悪くても、またその成果がすぐに現れることがないとしても、忠実に忍耐強く希望をもって委ねられた務めを果たす思いを新たにしたのです。

2019年1月号

 「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ記八章十節)
昨年の一月号に、わたしは詩編一〇三編一節を冒頭に記しました。
一年間、折々にこのみ言葉を思い巡らし、励まされて過ごしてきましたが、今年は冒頭の聖句を大切にしながら過ごしたいと思っています。
この聖句、みなさん、どこかでお読みになっていませんか? そうです。
皆さんの教会にも掲示されている教区設立一二五周年記念礼拝のポスターの一番上にある聖句です。

 CMSの宣教師として来日、大阪、東京、山陰などで働かれたヘンリー・エビントン司祭は、一八九四年三月四日、ランベス大聖堂で主教に按手され、九州教区初代教区主教となります。
わたしたちはその主教按手日を教区設立記念日としています。
それから数えて今年は一二五年になります。
九月二三日には主教座聖堂で記念礼拝を行います。
この記念礼拝のために選ばれたのが冒頭の聖句です。

 地域的に広い教区であった。

 皆が一堂に会する機会が多くありません。
教区の研修会も遠方の方が参加するのが難しくなり、地域ごとに開催するようになってきました。
しかし、いや、だからこそ、今年はみんなで一緒に集まって、この教区に与えられた恵みを感謝して主を賛美し、喜びを分かち合い、一五〇年にむけて力強く新たに歩み出したいものです。
一人でも多くの皆さんと共に集うことを楽しみに、主への感謝、喜び祝うことから始まる一日一日を過ごしたいと願っています。

 主イエス・キリストのご降誕をお祝いし、新しい年も主の恵みがお一人おひとりに豊かにありますようお祈りいたします。

先日、私の大好きな長嶋茂雄の知られざるエピソードを紹介する番組を見ました。
引退試合当日、観衆がスタンドから降りてくることを恐れてしないことになっていたのですが、ダブルヘッダーの第一試合が終わった後、長嶋本人の希望で外野を一周したときのこと。
立ち止まり涙を拭く長嶋をみんなが見守り、誰一人グランドに降りてくる人がなかったという話。
地方のうなぎ屋さんで借りたバットを持って二階に上がって二時間、長嶋が帰った後で従業員が擦り切れた畳を見て驚いた話。
試合後に自宅に戻ってからいつも深夜二時までバットを振っていた話。
「一人の時間を大切にしない人は駄目ですね」という自身のコメントも、長嶋が決して天才ではなく努力家だったことを思わせるものでした。

 一番印象に残ったのは、その番組の中で日本放送のアナウンサーの方が語ったことです。
ある日長嶋が『「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」というのはよくない、「雨ヲ喜ビ、風ヲ楽シム」だよ。』と言ったとのこと。
長嶋はどんな時にも前向きにとらえていたとのことでした。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙一第五章一六節〜一八節)が思い浮かびます。

 教会の暦は新しい一年が始まります。
この一年折々に与えられた恵みと導きに感謝です。
嬉しいことだけでなく、苦しかった時や辛かった時にもきっと神の恵みがあったことでしょう。

その感謝の心をもって、新しい年も、すべてのことを相働かせて益としてくださる神に信頼して歩みたいものです。

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