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教区報に毎月掲載されるルカ武藤謙一主教のメッセージ
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最新メッセージ

2024年11月号

 免許証の更新のため高齢者講習を受けました。
ビデオの視聴、視野と動態視力など適正検査と実車指導の2時間の講習を受けて免許更新が可能になりましたが、自分が70歳を迎える高齢者であることを改めて自覚させられた体験した。
5年後の免許更新の時には認知機能検査も受けなければなりません。
 今年、教育部が作成した『臨終から葬儀まで 信徒の手引き』と『私の葬儀に関する希望』が各教会の皆さんのお手元に届いたことと思います。
八幡聖オーガスチン教会、福岡ベテル教会では、この手引きをみんなで読み合わせて、臨終から葬儀に至ることを確認し、さらに「私の葬儀に関する希望」を具体的に記入していただきました。
そして一部はご家族にわたし、コピーを牧師にも提出してくださいとお願いしています。

 わたしも自分の葬儀について希望を記入してみました。
すぐに記入できる箇所もありますが、どのように記入していいか考えてしまう箇所もあり、なかなか完成しません。
「私の葬儀に関する希望」ですが、やはり家族とよく話し合ったうえでなければ記入できない箇所もあります。
信徒の皆さんには「元気な今だからこそ、家族と相談してください」とお勧めしていますが、他人事ではありません。
一日生きたということは、一日死が近づいたということ。
「メメント・モリ」(「死をわすれるな」の意)という言葉の通りです。
そして11月は「死者の月」でもあります。すでに天に召された皆さんをいつも以上に親しく感じて過ごしたいと思っています。


2024年10月号

 皆さんが「はばたく」10月号を手にする頃には、既に第120(定期)教区会の公示が教会に掲示されていることと思います。
この教区会では教区主教選挙が行われます。
主教選挙は聖職議員と信徒代議員によってなされますが、候補者は3名によって推薦された30歳以上の司祭または主教です。
何人の候補者が推薦されるか、誰が推薦されるかは、選挙の時にならなければ分かりません。
また推薦者は議場で候補者の簡単な略歴を紹介しますが、それ以上の説明をすることは法規で禁じられています。
それは人為的な操作を避けて、聖霊の導きの中で選挙することを大切にしているからです。

 教区主教は教区の一致の象徴であり、教区の司牧の責任者です。
わたしたちは新しい教区主教のもとで、神戸教区、沖縄教区との宣教協働を深め、教区の宣教体制を整え、さらに教区再編も視野に入れて歩んでいこうとしています。
選挙に直接関わるのは限られた人ですが、教区にとってとても重要な営みです。
「教区主教選挙のための祈り」のカードを各教会にお送りしています。
それを用いて、または祈祷書109頁の「教区主教選挙のため」を用いるなどして、御心に適う人が選出されますよう、みんなで日々お祈りいたしましょう。

2024年9月号

 今年は7月から連日の猛暑、酷暑です。
外出や屋外での作業を控え、室内でも水分を補給し、我慢せずにエアコンを使うよう、熱中症対策が盛んに呼びかけられています。

 2階にある福岡聖パウロ教会の聖堂は日中の強い日差しで建物が暖められて、窓を開けても熱気がこもっています。
朝は7時から、夕は17時30分から礼拝をしていますが、蒸し風呂のような感じです。
エアコンをつけたいとも思う時もありますが(1,2回使いましたが)、柴本司祭が言い出すまでと我慢比べ、エアコンは使っていません。
カラーをつけると首元が締まって体温がこもります。
司式当番のときは、さらにキャッソクを着ますので大変です。
すぐに汗が噴き出してきます。
わたしはハンカチ代わりに日本手ぬぐいを使っていますが、手ぬぐいがしっかり湿るほど汗がでます。

 でもどんなに暑い時でも必ず窓から風が吹き込んできます。
祈っているとき微風であってもその風を顔や腕に感じると何とも言えず心地よいのです。
暑ければ暑いほどかすかな空気の流れでも肌に触れる感触は心地よく感じられ、風が吹いていないようでいても必ず吹いていることに気づかされます。

 聖霊、神様の息吹も同じではないでしょうか。
聖霊降臨日の出来事のように強く激しく降ることもあるでしょう。
そしてまた、わたしたちの日常生活のなかで、聖霊はそれと分からないほど静かにわたしたち一人ひとりを包み、守り、励まし、導いてくださるのです。
暑さの中で日々聖霊に満たされていることに気づかされ感謝です。

 9月になっても残暑が厳しいことでしょう。皆さんくれぐれもお身体をご大切にお過ごしください。

2024年8月号

 4月6日に起工式を行って始められた主教座聖堂・教区センター・福岡聖パウロ教会建築工事は順調に進んでおり、間もなく基礎工事が終わります。
教区センター管理人の中村さんからお聞きしたのですが、隣りのマンションに住む友人の夫が建築に詳しく、毎日のように工事現場を見ていて「丁寧な仕事をしている」と言われたとのこと、それを聞いてわたしも嬉しくなりました。
地下に何本もの杭が打たれ、土が掘り出され、コンクリートの基礎の枠が打たれ、新しい土が入れられて固められ、その上に防湿シートが敷かれ、鉄筋が張り巡らされ、コンクリートが一面に敷かれて壁になるところにはボルトを止める金具がついています。
これからいよいよ柱が建てられ建物の形が少しずつ見えてくることでしょう。
建物が完成したとき、今見えている基礎部分は全く見えなくなります。
でも見えなくなる基礎がしっかりしているからこそ、建物全体が地震や強風にも耐えて安心・安全に用いることができるのです。

 教会の土台、隅の親石はイエス・キリストです。パウロは、「キリストにあって、この建物全体は組み合わされて拡張し、主の聖なる神殿となります。」(エフェ2:21)と記しています。
イエス・キリストという土台に結びついて、わたしたち一人ひとりが九州教区という神の住まいをかたち造っているのです。
130年の歴史を持つこの住まいの土台はキリストです。
恐れることはありません。
人びとの安らぎの場、癒しの場、出会いの場となるように宣教の業に励んでまいりましょう。

2024年7月号

 5月20日(月)から23日(木)まで春の教役者会が釜山で行われました。
昨年4月に釜山教区教役者団が九州教区を訪問してくださいましたが、
今回はわたしたちが釜山教区を訪問できて感謝でした。
朴(パク)東信(ドンシン)主教や若い聖職たちが期間中ずっと同行してくださり、教会や社会宣教施設を訪問し、短い時間でしたが信徒・教役者の皆さんと礼拝し、交わりのときをもつことができました。
最終日の聖餐式では、朴主教がヨハネによる福音書15章15節を引用されて、イエスが弟子たちを友と呼ばれたように、わたしたちもまた互いに友であることを強調されました。
暖かく迎えてくださった釜山教区の皆さんに感謝し、これからも釜山教区との協働、交わりがさまざまなレベルで深められるようにと思わされました。

 2020年から昨年までコロナ禍のために、春と秋の教役者会はオンラインで行われてきました。
プログラムが終わってから有志によるオンライン夕食会が行われたこともありましたが、やはり物足りません。
今回4年ぶりに対面で教役者会が開催できたことは、わたしにとって本当に嬉しいことでした。
協議の時間には時に感情的になる場面もありましたが、同じ場にいて話し合うのはオンラインとは違いそれぞれの想いもよく伝わります。
食事のときに個人的な話しをすることも楽しいものです。

共に感謝・賛美の礼拝を献げ、一つのパンをいただき、それぞれ意見の違いがあっても聖職団として共に在ることの大切さを実感した教役者会でした。

2024年6月号

 「2023年日本聖公会宣教協議会からの呼びかけ」という文書をお読みになられたでしょうか。
これは昨年11月に山梨県清里で開催された日本聖公会宣教協議会を通して、今後の日本聖公会の宣教において大切にしたいことをまとめたものです。

 冒頭には「ここからまた歩きはじめよう ~いのちに仕え、となりびととなるために~ 1.神のみ声に耳を傾けよう 2.人々の声に耳を傾けよう 3.世界の声に耳を傾けよう」と記されており、その後にこの呼びかけができた経緯と、三つの項目の詳細説明が記されています。

 宣教協議会には九州教区から9名が参加しましたが、宣教協議会後もオンラインで会合を重ね、宣教協議会のこと、ことにこの「呼びかけ」をこれからの私たちの教会の大切な宣教の指針とするためにどうしたらよいかを話し合いました。
そして各教会と日程調整を行い、5月中から7月にかけて、宣教協議会参加者が分担して各教会を訪問し、宣教協議会のこと、特に「呼びかけ」についてお話させてもらうことにしました。ぜひ宣教協議会参加者の話しをお聞きください。

 主教選挙をするか伝道教区になるか、これからの教区の在り方を選択するという大切な課題もありますが、同時に、どのような在り方になったとしても、それぞれの地にあって、「いのちに仕え」、多くの人の「となりびととなるために」、それぞれの教会でこの「呼びかけ」文を読み合わせ、自分たちにできること、また必要なことは何かを話し合い、実施してくださることを願っています。

2024年5月号

 3月20日、沖縄教区教区礼拝に出席しました。
沖縄教区では毎年3月20日を「教区礼拝の日」と定め、各教会の信徒、教役者が主教座聖堂に集まって礼拝を行なっています。
今年は沖縄教区宣教70周年を祝う礼拝で、大韓聖公会の主教たちも出席されました。
また教区内の幼稚園、保育園の先生たちも出席されました。
全員で感謝・賛美の礼拝を捧げて、午後からはグループごとの音楽会でした。
教役者団、幼稚園・保育園の先生たち、GFS、青少年グループ、男子会、婦人会がそれぞれ工夫を凝らして歌い、演奏し、また踊ります歌われる歌詞に心ゆすぶられたり、励まされ、また童心にかえって体を動かしたり、沖縄教区の皆さんが一つの家族であることを感じさせられた一日でした。

 教会はともに集い、ともに祈り、賛美する共同体です。
信徒の高齢化もすすみ以前に比べると一堂に会することが難しくなっています。
費用や時間もかかります。
それでもやはり集まることは大切です。

 九州教区は3月4日に教区設立130周年を迎えました。
記念礼拝を実施することが昨年の教区会で決議されています。
まだ具体的なことは決まっていませんが、そのときには是非一人でも多くの人たちで集まりたいものです。
日頃はそれぞれの場にいるわたしたちが九州教区という一つの家族であることを体感し、詩編の作者が謳った恵みと喜びを味わいたいと願っています。

「見よ、兄弟がともに座っている。なんという恵み、何という喜び」(詩編133編1節)

2024年4月号

 +主イエス・キリストのご復活をお祝い申し上げます。

 皆さん、大斎節をどのように過ごされたでしょうか。
わたしは毎年、大斎節は早く寝ることを心掛けているのですが、今年もなかなか思うようではありませんでした。
またせっかく早く寝ても夜中にトイレに行きたくなって目が覚めてしまいます。
これはもう一年くらい前からのことです。
年齢と共に膀胱も堅くなってきて尿をしっかり溜めることができなくなるとのこと、若い方には想像できないかもしれませんが、思い当たる方も多いのではないでしょうか。

 わたしはトイレに行きたくなって目が覚めるのがたまらなく嫌でした。
嫌というか悔しいのです。
せっかく気持ちよく寝ているのに起こされるのですから。
特に寒い冬はそんな気持ちになります。
幸いなことに布団に入ればまた眠れるのですが、それでも夜中に起こされるのは悔しい気持ちです。

 そんなことをある友人に話すと、トイレに行って戻ってきたら、病気や痛みや悲しみで眠ることのできない人たちのためにお祈りすれば、と勧められました。

 それから、夜中に起きてトイレから戻ってくると、今は寒いので布団の中にはいってからですが、眠れぬ夜を過ごしている人たち、夜も働いている人たちを想いながら短いお祈りをして眠ることにしています。
すると不思議なことに以前には感じていた悔しさがなくなり、朝、目覚めたときにもすっきりした気持ちでいられるのです。
これも恵みと思いつつ、でもやっぱり朝までぐっすり眠りたい。

2024年3月号

 九州教区は今年、新しい主教を選出して教区再編へと歩んでいくのか、それとも伝道教区となり、5年後に神戸教区あるいは沖縄教区と新しい教区となっていくか、どちらかを選択しなければなりません。
そのために昨年は教区研修会を2回開催しました。
また教区会の前夜にも分かち合いの機会を設けました。各教会でも堅信受領者総会の時にこのことを話し合ってくださったことと思います。

 福岡ベテル教会では堅信受領者総会の懇談のときに「主教制、宣教協働区・伝道教区制Q&A」を再度読み合わせ、今後のスケジュールのこと、主教選挙について、宣教協働区・伝道教区制について再確認しました。
最後に現時点でどちらを選択すべきと考えているかを挙手で意思表示をしてもらいましたが、ほぼ半分に分かれました。

 5月には教区研修Ⅲ「信徒・教役者の集い」が実施されることになっており、間もなく案内が各教会に届くことになっています。
そして常置委員会は6月もしくは7月にはどちらを選択するか方向性を判断し、教区会に議案提出することになっています。

 それぞれの教会でも折に触れて、このことを皆さんで考え、分かち合ってくださるようお願いいたします。
どちらを選択するにしても現在私たちが抱えている課題がすぐに解決するわけではありませんが、教区設立130周年を迎えるわたしたちが、神様のみ旨に適う道を選択し、歩み続けていくことができるように祈りのうちにお考えくださるよう改めてお願いします。

2024年2月号

 2022年6月に、修女の皆さんが高齢のためナザレ修女会が閉院したことにより、ウェファース事業も一旦閉じることになりました。
それによって教会によっては今までとは違うウェファースを用いて聖餐式を行なっているのではないでしょうか。
ウェファース事業は、その後これまで製作してくださっていた方の指導を受けて、ボランティアの皆さんがウェファース製作を引き継いでくださることになり、準備をすすめておられます。

 昨年12月に管区の会合で「ナザレの家」に行ったときに、ウェファースを製作している部屋を訪れました。
二人の方がウェファースを作っておられました。
専用の機械に溶いた小麦粉を薄く流して焼きます。
そしてそれが乾いてから、今度は型抜きをするとのことですが、乾きすぎると割れてしまうとのこと、天候にも左右されることでしょう。
どちらも慣れるまでには大変な様子でした。
それでもボランティアの皆さんは、早く各教会にウェファースを届けられるようにと頑張っておられます。

 手作りのウェファースで、何よりも作る方々は祈りをもって作っておられることに感謝です。
それは修女の皆さんがこの事業を始められてからずっと守られていることでしょう。
それがあるのが当たり前のように思って使っているウェファースですが、一枚一枚に作る方々の祈りが込められたものであることに改めて気づかされました。

 これからは管区事務所が取り扱うことになりましが、ナザレ修女会で作られていたウェファースが、もうすぐ手に入るようになるとのことです。

2024年1月号

 主イエス・キリストのご降誕の喜びのうちに新年をお迎えのことと思います。

2024年を迎えました。
今年は九州教区設立130周年という節目の年です。
昨年11月に行われた教区会では、教区設立130周年記念礼拝を実施すること、そのための実行委員会を設けることが決議されました。
これから具体的な準備が少しずつ始まっていきますが、わたいたち一人ひとりも、これまでの教区、教会の歴史を振り返り、与えられた恵みを感謝し、先達たちから大切にしてきた信仰の賜物をしっかりと受け継ぎ、さらに宣教・伝道に励む想いを新たにしたいものです。

 昨年6月に宣教局から「主教制・宣教協働区・伝道教区制Q&A」が配布され、7月と9月に教区研修会が開催されました。
そして今年の春にも「信徒・教役者の集い」が開催され、九州教区の進む道を決断しようとしています。
2回の教区研修会は録画されており何時でも視聴することができます。
それぞれの教会でさらに学びを深めてくださるようお願いします。
そしてこれから開催される堅信受領者総会など機会を設けて皆さんの想いが分かち合われ、最終的な決断へと進んでいけるように期待しています。
どのような結論になろうとも、一つひとつの教会がそれぞれの地においてこれからもよりよく福音宣教に励むために、神様が差し示してくださった道であると信仰のうちに受け止めたいものです。

 各教会・伝道所・礼拝堂・施設に連なるすべての皆様のうえに、この一年も神様の祝福と導きが豊かにありますようお祈りいたします。

2023年12月号

 10月29日は佐賀聖ルカ伝道所の巡杖でした。
聖餐式が始まり、「主イエス・キリストよ、おいでください」と唱えると、「弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現されたように、わたしたちのうちにもお臨みください」と、大きくそろった声が礼拝堂に響きました。
出席数は多くはありませんが、礼拝堂一杯に明るい声が響き、とても力強く感じられ嬉しくなりました。
一般の住宅を改修して礼拝堂として用いているので、天井も低く空間もそれほど広くないなど構造上の理由もあるかもしれません。
しかし、聖餐式の最初から最後まで、皆さんの声の響きは変りません。
出席者の皆さんが心から感謝の想いをもって礼拝に出席され、想いを一つにして主を賛美しようとする姿勢を感じました。

 そして自分自身のことを反省させられました。
朝・夕の礼拝を主教座聖堂で行っていますが、柴本司祭が所用でおられない時など一人で礼拝することもあります。
正直に言うと、仕事が中断される時、礼拝後に予定がある時、心にゆとりのない時など、式文を唱えるとき、あるいは聖書を朗読するときも、ついつい声が小さく早口になることがあります。
そんな時には、やはり心がこもっていないのです。

神様は小さな声の祈りも.早口の祈りも、沈黙の祈りも聴いていてくださいますが、礼拝での祈りの声は天におられる方に対するものであることを、一言一言丁寧に唱えようと、改めて思わされた巡杖となりました。

2023年11月号

 11月10日(金)~13日(月)まで、各教区から聖職・信徒8名、管区の諸委員会の代表など約140名が参加して、山梨県清里で日本聖公会宣教協議会が開催されます。
これは2012年に開催された宣教協議会の「日本聖公会<宣教・牧会の十年>提言」で提案されているように、10年後に再び宣教協議会を開催し、十年の間の宣教・牧会の取り組みの実りを分かち合い、さらにこれからの十年の日本聖公会の宣教について話し合う大切な協議会です(コロナの影響で開催はことしになりました)。

 皆さんの教会に掲示されているポスターにある通り、今回のテーマは「いのち、尊厳限りないもの-となりびととなるために-」、主題聖句はヨハネによる福音書15章5節です。
宣教協議会実行委員会の「ぶどうの枝だより」が各教会に配布され、また教区報にも転載されて、情報発信されていますが、よくお読みください。
九州教区の参加者も各教会の宣教・牧会の実りの収集、この10年間の教区の歩みの振り返りなど準備をして協議会に臨もうとしています。

 九州教区では、今後の教区の宣教体制について、教区研修会を実施して学び、分かち合い、決断しようとしていますが、宣教協議会で提案されることは、教区、教会の宣教、牧会の指針となるものです。
日本宣教協議会のためお祈りくださるようお願いいたします。
またオンラインで配信されるプログラムと視聴するための情報が各教会に送られています。
アクセスできる方はどうぞご視聴ください。

2023年10月号

 先月のこの欄で、別府野口教会のことを記しましたが、最初に別府で宣教したH.L.ブリベ司祭のことが気になりました。
「日本聖公会九州教区史」では「H.L.ブリベ」と記されていますが英語表記はありません。 また教区教役者記念聖餐式の逝去者名簿にも「ブリベ」という名前がありません。
日本聖公会の歴史に詳しい方に教えていただきました。
Bleby, Henry Leonard ブレビー,ヘンリー・レオナルド。 1864年4月4日、ロンドン北部のイズリントン生まれ。
1890年に執事按手、その年の12月5日にCMS宣教師として仲間と一緒に大阪に到着。
3年間大阪地方部の桃山高等英学校などで教師として働きますが、その期間中に司祭按手、結婚もしています。
1894年に九州地方部に移り、主に大分県、宮﨑県の教会、講義所などで働き、1907年に英国に帰国。
1917年に再来日し南東京教区で働き、1919年に離日、2年後には英国で牧師となり、牧師として生涯を送り1942年12月27日に逝去。
顔写真もいただきました。

大分では滝廉太郎とも親交が深かったようです。
ちなみに教区教役者逝去記念礼拝名簿には「司祭 H.L..ブレビイ」と名前が載っていました。

 名前だけしかわからなかった教区の先駆者である宣教師のことを、少しだけですが知ることができて、嬉しく思っています。

2023年9月号

 大分の聖公幼稚園で行われた研修会の帰り、濱生正直司祭、柴本孝夫司祭と共に別府市にある日本基督教団別府野口教会を訪ねました。
いつか訪問したいと願っていた教会です。
別府野口教会は、戦前には聖公会の別府インマヌエル教会でした。
戦時下、宗教団体法により、日本聖公会は組織を解散させられ合同問題が起こりますが、教区内でも幾つかの教会が日本基督教団に合同しました。
戦後、日本聖公会が再出発し、合同した教会にも復帰を呼びかけましたが、日本基督教団に留まる教会もありました。
別府野口教会もその一つです。
戦時下で教役者がいないことなどで合同を決意し、戦後も様々な葛藤があるなかで日本基督教団に留まることを決断されたようです。

 わたしたちが訪問したとき、この4月に着任したばかりの清野量伝道師が快く迎えてくださり、礼拝堂に案内してくださいました。
1925年に建てられ、その後現在地に移築された礼拝堂は、まさに聖公会の礼拝堂で、祭壇は東面奥に置かれていました。
礼拝堂内は清潔に整えられており、これまで長年、信徒の皆さんが祈りの場として本当に大切にされておられることが伝わってきて嬉しく思いました。

 1894年、H.L.ブリベ司祭によって始められた伝道から来年で130年を迎えるとのことですが、聖公会から始まった歴史を大切にしつつ、今もあの聖堂で礼拝を捧げ、福音を証ししておられる別府野口教会の皆さんが身近に感じられるようになりました。

2023年8月号

 4年ぶりに現地での開催となった沖縄週間「沖縄の旅」に参加しましたが、そこで思いがけない出会いがありました。
グループで話し合う時間に簡単な自己紹介があったのですが、ある方が「洗礼を受けたのは大阪教区の教会ですが、聖公会との出会いは四恩幼稚園です」と言われたのです。
四恩幼稚園は静岡県沼津市にある幼稚園で、現在は学校法人になっていますが沼津聖ヨハネ教会の幼稚園です。
わたしが九州教区に来るまで牧師であり園長であった教会、幼稚園です。
「四恩幼稚園」の名前をこんなところで聞こうとは思ってもみませんでした。

 その方にお話を伺うと、父親の転勤で沼津に来て四恩幼稚園に入園します。
日曜学校に通うようになり、大学生の時に大阪教区の教会で洗礼を受け、今は東京教区の教会で信仰生活を送っているとのことでした。
四恩幼稚園の教職員はそのことを知る由もないのですが、幼稚園で蒔かれた福音の種がその方のなかで成長して確かな実を結んでいることを知って本当に嬉しくなりました。

この方のように幼稚園、保育園が信仰の入口になった方も少なからずおられるでしょう。
九州教区には5つの幼稚園、子ども園があり、5月末現在で350名以上の子どもたちが通園しています。
多くの教職員の皆さんが働かれ、日々の保育を通してキリストの福音を子どもたちやその家族に伝えておられます。
クリスチャンになることを目的にしているのではありませんが、幼稚園、子ども園が教会の宣教を担っていることを覚えお祈りください。

2023年7月号

 わたしが司祭に按手されてから39年になりますが、ずっと主日聖餐式を守っていました。
指の怪我で入院手術したときには、医師にお願いして教会に戻り、主日聖餐式をしたこともありました。ところが先月、初めて主日聖餐式を休みました。
原因はコロナウイルス感染です。
ジャカルタでの最終日、喉の痛みがあり風邪気味かと思いましたが、発熱もなく帰国、自宅で2時間過ごして対馬に行きました。
対馬から戻った夜に連れ合いと帰省中の娘が発熱し、翌朝、受診して陽性と診断され、私も検査の結果陽性でした。
教区事務所からパソコンや資料をもって自宅に戻り、外出禁止となりました。
日曜日は外出は可能でしたが、執事がいて礼拝が出来ることもあり、念のため主日礼拝を休むことにしたのです。

コロナ陽性となってすぐに気になったことは、わたしと接触していた人たちのことです。
教区事務所、教区センターの皆さん、厳原聖ヨハネ教会の皆さんなど、すぐに連絡をしましたが、特に高齢の方、持病を抱える方が発症しませんようにと思い、祈らずにはおられませんでした。
ジャカルタに同行した司祭は陽性でしたが、幸いなことにそれ以外には陽性と診断された方は一人もおられませんでした。

誰とも接触できない状況に置かれて、わたしたちは多くの人たちとの関係の中で生かされていること、その交わりが豊かで尊いものであることを改めて強く感じさせられました。

今もお独りで過ごしておられる方が少なくありません。
わたしたちが主に在る家族であることを、いろいろな仕方でお伝えし合いたいものです。

2023年6月号

 復活日の翌日から5日間、協働関係にある釜山教区から朴東信主教はじめ15名の聖職が九州教区を訪問されました。
日程の関係で今回は福岡聖パウロ教会、熊本聖三一教会、リデルライトホームの皆さんとの交わりとなりましたが、海外協働委員会をはじめ受入のためにご奉仕くださった皆さんに感謝いたします。
後日、朴東信主教からは大変丁寧なお礼の手紙をいただきました。

 わたしは最初の二日間だけご一緒しましたが、とても印象深かったのは教役者の皆さんが本当に家族のように一つになって楽しんでいる姿でした。
特に初日の夕食は、会場が貸し切りであったこともあり、アルコールが入ったこともあったでしょうが、朴東信主教が最初に歌い、わたしにも歌のリクエストがあり、さらに他の人が歌ったり、みんなで合唱して楽しんだのです。
笑顔の絶えない食事会でした。お店の方にはご迷惑だったでしょうが、予定の時間よりだいぶ遅くなるまで皆さんで食事を楽しみました。

 新型コロナウイルスの感染症法上の扱いもインフルエンザと同じような位置づけに変わりました。
新型コロナウイルスが無くなったわけではありませので、今後も感染予防に留意しなければなりませんが、わたしたちの教会生活も次第に元に戻ろうとしています。
顔と顔を合わせて共に感謝・賛美の礼拝を献げること、食事を共にすること。
共に奉仕することを通して、わたしたちが主に在って一つの家族であることを現わしたいと思わされました。
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、何という喜び。」(詩編133編1節)

2023年5月号

 日曜日の帰りの自動車の中で、「あなた、今日は言葉の最後が曖昧で、何回も言い直していたね。
あなたも口腔トレーニングをした方がいいんじゃない。
『パタカラ』とか『イー』というのが良いと深夜便で聞いたよ」と連れ合いから言われました。
ある野球解説者が話しているのを聞いていて「活舌が悪くなったね」と話していたばかりでしたので、自分が同じようなことを言われるとは思ってもみないことでした。
正確には「パタカラ体操」と呼ばれ、「パ」「タ」「カ」「ラ」と発音することで、口腔内の筋肉や舌を鍛えて、嚥下をよくするトレーニングです。
だ液の分泌をよくする、入れ歯が安定する、表情が豊かになる、そして発音がはっきりするなどの効果もあるとのことです。

 ソウル教区で働いていた司祭から最近聞いた話しです。
その方が働いていた教会では、毎年、年間を通しての聖書朗読者を何人か選び、その方たちは、専門家から発音や朗読の訓練を十分受けて聖書朗読の奉仕をされるそうです。
聴きやすい発音、声の大きさ、読む速度、間の取り方などを学ぶのでしょう。
また礼拝参加者も聖書朗読のときには聖書を見ないで朗読される聖書を聴くのだそうです。
朗読者と聴衆の間にいい意味での緊張感があるように感じられます。

 聖堂の広さ、出席者数、マイクの有無など教会によって環境も違います。
式文の唱え方、聖書の読み方、説教の語り方が、聞きやすいものか今まで以上に意識しようと思わされたことでした。

2023年4月号

 先月号のこの欄に、永井隆さんの「萬里無影」という書のことを記しましたが、その意味が定かではありません。
2月に永井隆記念館を訪ねる機会があり、館長にお尋ねしました。すると「萬里無影」という題の随筆があることを教えてくださいました。
早速買い求めて呼んでみました。

原爆投下から5年後に書かれた随筆ですが、5年前の月夜に、影を落とすものが何もない原野を見ていた時のことを記したものです。

 妻を失い、家や財産を失い、業績を失い、健康を害し、いずれ職も失うかもしれないと思いながら月夜の原野を見ていて、すべてを失ったことが少しも惜しくはなく、悲しくなかったそうです。
そして「滅びるものは滅びるのだ。なくなるものはなくなるのだ。
そんな頼りないものにとらわれ、それをほしがり、わが手に入れたら奪われまいとあくせくしていた人間生活の愚かさをまざまざと知ったから、すべて滅び去った跡を見て、かえって胸のうちはせいせいしていたのです。
そうして、わたしの求むべきは滅びないものでなければならない、と気づいて、その求むべきものとは天の国とその義であると知ることができたら、新しい大きな望みが胸のうちにわいてきたのです」と記しています(『如己堂随筆』202頁)。 
「萬里無影」には、このような神への信頼と服従の想いが込められていたのです。

主イエス・キリストのご復活を心からお祝い申し上げます。

*『如己堂随筆』 永井隆著 アルバ文庫(サンパウロ)

2023年3月号

 皆さんがこれを読まれるころ、わたしはブラジル聖公会サンパウロ教区を訪問しています。
ブラジル聖公会で行われる日本人伝道100周年記念感謝礼拝(3月12日)に招かれたからです。
日本人のブラジル移民は1908年からですが、1923年3月13日、サンパウロに着いた伊藤八十二師(3年後に司祭按手されます)が、日本人6名と礼拝をしたのが日本人伝道の始まりです。

 ブラジルでの日本人伝道の歴史について何も知識がなく、いただいた資料を読んでいます。
伊藤八十二司祭が建てられた聖ヨハネ教会は戦後すぐに、戦災で建物が焼かれ物資なども乏しい日本の状況を知り、婦人会が中心になってバザーを開催し、日本聖公会に支援金や物資を送っていたことを知りました。
当時は日本とブラジルは国交が途絶えておりアメリカ聖公会経由で日本に送られたそうです。
それに対して多くの方々からお礼の手紙を受け取ったとのことですが、永井隆氏から「萬里無影」と書かれた書が届き、今でも聖ヨハネ教会に飾られているのだそうです。
なぜ永井氏が書を贈ったのか記されていませんが、原爆によって壊滅的な被害を受けた長崎の教会にも支援物資が送られ、それが永井氏のもとにも届いたのではないかと想像します。

「日本聖公会九州教区史」、「長崎聖公会略史」等には記されてはいませんが、聖ヨハネ教会からの支援は九州教区にも送られたのでしょう。そのお礼もお伝えしたいと思っています。

2023年2月号

 二〇二二年クリスマス翌日にSさんから嬉しいメールをいただきました。

 Sさんはクリスマス礼拝の司式をすることになっていたのですが、ご近所の方が友人を二人連れて来られたそうです。
どなたも教会の礼拝に出席するのは初めての高齢者の方々、司式者としてどうしようと動揺したそうですが、信徒奉事者研修会のときに、わたしが「いつ、どこで、だれと礼拝しているかを把握すること。出席者によってアナウンスや唱える速度を考えること」と話したことを思い出したそうです。
そして礼拝用書に栞を挟んでお渡しし、礼拝を始める前には礼拝について簡単な説明をされ、また礼拝中も祈祷者や聖歌集を示しながら頁数をアナウンスされたとのこと。
信徒の皆さんも初めての方々の隣りに座ってサポートされたとのことです。
初めて来られた方々は祝会にも参加して「楽しかったです」と笑顔で帰っていかれたそうです。
司式されたSさんや信徒の皆さんが、初めての方々と一つになって献げる礼拝になったことでしょう。

 Sさんは、「初めての方を戸惑わせたり、置き去りにすることなく、司式できたのではないかと思います」、また「礼拝がよい時間、よい場所になるように会衆の皆さんと一緒につくりあげていくことの大切さを学んだ礼拝となりました」と記されていました。

 礼拝が司式者と会衆との協働の営みであることを実感されたSさんは、これからも責任と喜びをもって奉仕してくださることでしょう。

2023年1月号

 早朝、福岡空港に向かう自動車の中、連れ合いが朝焼けの空を見て「わあ、きれいな空、素晴らしい!」と大きな声を上げました。
ちらっとそちらに目をやったのですが、それ程でもないな、というのが私の実感で、思わず「どこが?」と口に出てしまいました。
「あなた、きれいだと思わないの?」と呆れられ、「ラジオ深夜便で聞いたのだけれど、大人になると時間の経つのが早く感じるのは、感動が少ないからだと言っていたよ。
子ども時代に、時間が長く感じるのは、いろんなことに感動したり驚いたりするからだそうよ」と教えてくれました。

 わたしにとっては年ごとに時間の経つのがどんどん早くなっているように感じられるのですが、だんだん無感動になっているということなのでしょうか。
不安になってきます。
振り返ってみるとそうかもしれないとも思えてきます。
空を見上げたり、草花に目を留めたり、川の流れを眺める時間は少なく、いつも何かに急かされているような感じです。

 〝センス・オブ・ワンダー〟は子どもたちだけでなく、大人にも大切なのでしょう。
心のストレッチが必要なようです。

子どもたちのようにとはいかなくても、身の回りのことに目を留め、心を動かされ、感謝、賛美を献げる者であり、少しでも人びとの苦しみや痛みに寄り添える者でありたいと思わされました。

 主イエス・キリストのご降誕をお祝い申し上げます。
今年も主の平和の器をして共に歩んでまいりましょう。

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