メッセージ

2012年12月号

 飛行機に乗りますと滑走路に向かう途中で、いつものようにゼモンストレーションが始まります。

席に付いているベルトの締めから、緊急時に海に着水する場合に用いるライフジャケットの着かた、その膨らましかた。
酸素マスクが天井から降りて来る際の使用の仕方。
このデモンストレーションが始まる際にアナウンスされる言葉は「皆様、必ずごらんください。」と珍しく命令調での言葉なのです。
それ以外の言葉は丁寧すぎる程の話し方だと思っていましたので、違和感を覚える程の命令口調です。
それを聞くと、我儘なわたしは目をつぶって眠る支度をします。
飛行機に乗りますと、大体は寝てしまいます。

この命令口調を思い出させる言葉は申命記6章4節から8節までの言葉です。
「・・・・これらの言葉を心に留め、子供たちに繰返し教え、家に座っている時も道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に 云々」とあります。

命令口調で、これだけは、是が非でも憶えさせねばならない、細胞の一つ一つに染み込むまで教えねばならない、と言っているように受けとめる個所です。

命令調で云われることは、どうも抵抗感があります。
でも、極めて大切なこと、直ぐに対応できるように頭で覚えるよりも、身体で覚えておくべきものと云われていることとして、謹聴すべきこととして受けとめなければならないのでしょうね。
 最も重要な掟を。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」
「隣人を自分のように愛しなさい。」ヨハネの福音書にある次の言葉も同じです。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

2012年11月号

 日本聖公会宣教協議会が浜名湖畔の会議場で開催され、日本の各地から約150人の参加者が集いました。

信徒の減少、聖職の減少、財政的困難が顕著に見える中で、どのように各個教会の生活(礼拝、教育、伝道・宣教)を目指したら良いのか。各個教会のみならず、教区も、日本聖公会管区も真剣に取り組まねばならない。
これを共通の課題として協議会を開催することが2008年日本聖公会総会で決議されました。

4年かけての準備の後に宣教協議会を開催することとなりました。
その準備中に、東日本大震災が起きました。人が生きている土台が予告なしに、足元をすくわれるように取り去られた。
愛する人を失い、家と土地を失い、財産を失い、働きの場を失い、福島第一原発事故は周囲に住む人々を緊急に避難させ、最早、戻ることもできない、故郷喪失をもたらしました。

その様な人々の前に立って、教会は何ができるのか。福音をどのように伝えることができるのか。

宣教協議会は教会の根本的な姿勢を問われる状況の中での協議会となりました。
大地震の犠牲者、被災した人々との交わりの中で「いのちは尊厳限りないもの」を実感させられ、この思いをテーマに会は進められました。

また「いっしょに歩こう!プロジェクト」に関わる人々の声、特に長谷川清純、越山健蔵両司祭の言葉は心に響きました。

お二人の働きはまさに、一人一人を大切にしながら、様々に迷いつつも、丁寧に関わっている人の言葉でした。
基調講演をされた西原司祭の言葉を思い起こします。
宣教の原点は実はシンプルなもの。
信徒に、地域全体に、教会として丁寧に牧会的働きを実践すること。

このシンプルな原点を思いつつ、今一度、わたしたちの働きを振り返ってみましょう。

2012年10月号

 最近、主教館一階のガレージに猫が遊びに来るようになりました。
外出するためにガレージに降りてみると、車の下に、その猫が寝そべっています。
わたしが傍に近付くと、こちらを見て、ゆっくりと背伸びして、その場からゆっくりと去って行きます。
猫を車で轢いてはいけないと心配するわたしのことなど何とも思っていないのでしょう。
ゆっくりと隣の家に帰って行きます。

その猫の優雅なたたずまい。優雅な歩き方。奇麗な体。
先日、飼い主であるお隣さんが話してくださいました。
夫がこの息子(猫のこと)を大切にして育て、毎日、一緒にお風呂に入って、体を洗っているのですヨ。

大切にされ、愛されていると知るとこの様に優雅になれるのか、と感心しました。
あまりにも優雅な猫の振る舞いに、つい、心が動いて文章にしてしまいました。

猫と人を比べることは憚れるのですが、聖書には再三、「わたしがあなたがたを愛したように」(ヨハネ13:34)とか「あなたがたは神に選ばれ、聖なるものとされ、愛されているのですから」(コロサイ3:12)とか、「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。」(ヨハネ手紙一3:1)とか記されている福音を思い出します。

神様に愛されているとの確信をもって生きることができるならば、わたしたちは与えられた命を輝かせて、しなやかに、平安のうちに生きられるのではないか。

朝の礼拝で用いる「平安のため」の祈りが思い出されます。
「親しみを好み、平安を与えてくださる神よ、永遠の命は主を知ること、完全な自由は主に仕えることにあります。」
「主を知ること」とは主の愛を受け止めることと言って良いのではないでしょうか。

2012年9月号

 広島、長崎の各原爆記念礼拝と行事に出席しました。
広島では前日に原爆記念公園の無縁墓地前において、カトリック教会と聖公会との合同礼拝でした。
聖公会側は100人ほど、カトリック側は500人程が集うて、主の祈りを共に唱え、中村豊主教の短いメッセージを聞いて、それから平和を願って、また原発ゼロのプラカードと持って、デモ行進が行われました。
1時間程の行進の終着点はカトリックの原爆記念大聖堂でした。

到着して直ちに聖餐式が行われ、司式者の中には福岡からの司教、 大阪からの司教等など多くの司教たちが加わっての聖餐式でした。

聖公会のわたしたちはカトリックの人々と共に陪餐に与ることを通して、共に主の平和の為に働く者であることを確認し、また主から祝福される思いがいたしました。

長崎では8月8日夕方7時に爆心地において諸宗教者と共に原爆犠牲者のために祈り、世界平和を願っての祈りをいたしました。

祈りの中でイスラム教聖職者の、平和を願っての祈りは印象的でした。
以前にイスラム教は怖い宗教と誤解されていますが、平和を願う宗教なのですと訴えていたイスラム教の聖職者の言葉を思い出しました。 

6月23日には沖縄において日本の各地から集った聖公会の仲間たちと67年前に鉄(弾丸)の雨の中で逃げ惑っていた人々を思いながら12kmの巡礼をしました。人は戦争をする者。でも戦争は多くの犠牲者を生み、その人々の苦難は筆舌に尽くし難い残酷なものと思い巡らす時にわたしは平和を意識せざるを得ませんでした。

2012年7月号

ソウル教区司祭按手式に参加して

 ミカエル李相寅執事の司祭按手式に九州教区の教役者(病気の司祭を除いて)皆が出席しました。
ソウル教区大聖堂はロマネス様式の建築様式で建てられたと云われる石造りの礼拝堂で、祭壇周囲の壁には聖画が数年かけてたモザイクで描かれていました。
そこで8人の候補者が司祭に按手されました。

礼拝堂は聖霊のご臨在と感謝の祈りに包まれ、喜びの溢れる按手式でした。
ソウル教区の方々が九州教区のわたしたちを歓迎して迎えてくださっていることに感激しました。 

しかし、40年前は聖公会の仲間であっても、日韓聖公会の関係は笑顔の無い、緊張するものでした。

これではいけない。
主イエスの十字架の赦しを受け止められなければ教会ではありえない。
韓国人として初めて大韓聖公会の主教となったパウル李天愌主教様は韓日親善会議を開催し、先ず日本聖公会からの代表団を韓国に迎え、次にはソウル教区からの訪問団として日本を訪ねて来られました。
主日礼拝を東京聖アンデレ教会において行うことになり、わたしはホテルにお迎えに行きましたが、緊張した皆さんの顔には笑顔が無く、わたしも不安になったことを覚えています。

わたしが初めてソウル教区を訪問した1985年も、笑顔の無い関係から始まりました。

しかし、主イエスを信じて、忍耐と希望をもっての学びと相互交流が、個人的な信頼を築き、深め、更に信頼関係が拡がり、主にある愛の交わりを喜び、楽しむ程に変えられて来たことはただ主イエスの導きです。

わたしの初めてのソウル訪問は心の重たい旅でした。
日本のしてきたこと、していることを目の当たりにした辛い時でした。
最後に訪ねた堤岩里教会訪問は、打ちのめされる様な体験でした。
1919年、その教会で日本兵は村のすべての男性を教会に収容し、教会ごと焼き殺してしまったのです。
犠牲者たちの遺骨が納められている墓の前ではただうなだれるだけでした。

墓の隣にある教会に入り、懺悔の祈りをしょうとして、教会の入り口に近付いたとき石柱に刻まれていたイエスの御言葉が心に飛び込んできました。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

このイエスの御言葉を教会の人々は信仰をもって受けとめ、石に刻み付ける程に確かに「赦す」と宣言してくださっている。

教会の人々の「赦しの宣言」が、わたしの重たい心に和らぎと心の平安を取り戻しました。

 それ以降、大韓聖公会の人々との顔と顔の見える長いお付き合いは、再会を楽しみにするような関係になっています。

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つに、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・」

と聖パウロがエフェソの信徒に言われている通りです。
 李相寅司祭の按手式において日韓の150人の聖職たちの手が、彼の体に一緒に置かれている姿を通して、わたしたちはイエス・キリストの働きを一緒に担って行く仲間であることを知らされました。

2012年6月号

 「5年後の夢」をどのように持って各教会が歩み出したのか。山﨑宣教局長から各教会の夢を知らせてもらいました。

5年後の姿を想像することはできないとの教会もあったかと思います。
しかし、今回を切っ掛けとして、自分たちの教会は何を大切にして教会生活をしているのかを確かめる時となっているのではないでしょうか。

ある教会は、月に2回聖書の会をして、その後に互いに祈り合うことをしたいと計画し、幼稚園が設置されている教会では幼稚園の人たちとのつながりをもっと大切にして宣教・伝道を意識したいと意思表示されています。

また、教会・教区・社会の状況を考慮する中で将来的には近隣の教会との合併を考えて、教会活動を考えたいとの教会もありました。

各教会から知らされてきました「5年後の夢」は一つひとつが具体的な内容を含む夢です。
その夢が叶えられますように、わたしも祈りを続けます。

アルファ・コースを採用して、イエス・キリストを伝えようと願っている教会が幾つかあります。
既に何度も経験している教会もありますので、互いに助け合ってその夢が実現されますようにと願います。

夢の中には、実現が容易ではない夢もあるかもしれません。
しかしクリスチャン仲間の夢を共有できるならば、一層の喜びも与えられることでしょう。
フィリピンでのヤコブ農園の夢を共有した人々の充実した顔を思い出します。

自分たちの教会の夢実現を願って歩み続けると共に、可能ならば仲間の夢にも目を向けて歩むことを期待いたします。

アフリカの若者が話した夢を思い出します。「毎日、食べることができること。安心して寝る場所が与えられること。」

2012年5月号

 東日本大震災そして原発事故。
この出来事をどう捉えたら良いのか。 新聞、TV等で意見を述べている人々の言葉を読みまた記録してきました。

その中でも作家である大江健三郎と高村薫の言葉を強く意識しました。
以下は大江健三郎の言葉です。

「私はヒロシマ、ナガサキから敗戦、占領下という時期の少年でした。周囲みな貧しいなかで、新しい憲法ができると、前文の『決意』という繰返しに、大人たちは本気で決意したんだと誇りに感じました。今フクシマを老年の目で見つめ、この国の困難な状況を思いつつ、しかし、新しい日本人の決意を、と心に期しています。」

高村薫が「生き残った日本人へ 『失う』理性と覚悟はあるか!」のタイトルの中で放映された話しも重いものでした。

「大震災によって今まであったことが顕在化した。」
「今後は、新しい日本の第一歩くらいの思いをもって踏み出さなければならない。」
「変わった日本にしていかなければならない。未来を見つめて。日本がどんどん縮んでいくのは辛い。それでも未来を考えて生きて行く。暗い中でも未来を見て、なんとかせねばならない。」
「21世紀のわたしたちの生活をどうするかの覚悟が必要。」

大江が「決意」と言い、高村が「覚悟」と言われる強い思い。

日本のあり方、その中に生きる教会のあり方。わたしたちキリストと共に生きて行く者は、どこに寄り立って進んでいくのか。

神様から必要とされて命を与えられている我々人間であると百パーセント受けることができるならば。
互いに愛し合いなさいとの明らかなキリストの指示を受けるならば。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい、そうすればこれらのものはみな、加えて与えられる。

これらの言葉が思い浮かびます。

2012年4月号

 すがすがしい 復活日の朝
「帰れつばめよ海を越えて あがれひばりよ 雲の上に 今日こそ主イエスの よみがえりの日よ」
(聖歌集162番)

この聖歌は復活日に歌う聖歌として現在の聖歌集に載せられていますが、以前わたしたちが用いていました古今聖歌集には児童のために歌う聖歌として537番として載せられていました。

残念ながら、わたしは以前まったく用いていません、知らない聖歌でした。
この聖歌を知ったのは菊池黎明教会の皆さんから教えていただいたからです。

1999年4月に主教として九州教区に赴任しまして翌年のことです。主教館玄関の上に「つばめ」が巣を造ったのです。

日に日に巣が造られるのを目にしながら、何か心がウキウキする思いがありました。
そのうちに卵を産んで、数週間しましたら親鳥が何度も何度も口に餌をくわえて飛んできます。
その都度、子たちがジー、ジー叫びながら餌をねだっていました。
その光景を思い出しますと、今も嬉しい思いになります。

やっと大きく育った「つばめ」が飛行訓練をして、主教館の周囲をひらひら飛んでいる様子は、ヨチヨチ歩きを思い出させます。
主教館の前に田圃がありますので、さらに育つと餌取りの訓練をしているようでした。
そしてある日、突如いなくなります。巣は空っぽで、寂しい思いがいたします。空の巣症候群を少し体験します。

つばめが我が家に巣を造ったのは、わが人生、初めての体験でした。

新しい命の誕生。それまでの親鳥の努力。見守るわたしも玄関扉の開け閉めには気を付けていましたが、旅立ってしまったあとの寂しさとすがすがしさが残りました。

菊池黎明教会を訪問しました際に、喜んで我が家のつばめの話をしました時に、次の話をしてくださいました。

菊池黎明教会のある信徒はこの聖歌が好きで復活節に限らず、事あるごとに「かえれつばくら」を歌っていたそうです。この人が亡くなった葬儀の時です。

季節でもないのに「つばめ」が礼拝堂の中にスーっと飛来して、ぐるぐる、ぐるぐる飛び回り、なかなか外に出て行かなかったそうです。

この不思議な出来事を目にした教会の人たちは「あの人は生きている」「あの人をつばめが迎えにきた」などと思われたそうです。

昨年、同じような話をわたしの教母がしてくれました。

彼女の夫が亡くなって少ししてからのこと。
テラスの花壇に水やりをしているとその都度、蝶がひらひら飛んで来たのだそうです。
もしかして夫ではないかと思って声をかけると、スーッと見えなくなってしまった、とのこと。

蝶をギリシャ語ではプシュケーと表現されるそうですが、このプシュケーを新約聖書では霊魂、霊、魂と訳しています。

本当に蝶になって挨拶に来られたのか、つばめになって挨拶に来られたのかは分かりませんが、つばめに会った人たち、蝶に会った教母は心に温かなものを感じ、その人との対話をされたのでしょう。

復活日の朝、イエスが納められていた墓にはイエスの遺体はありませんでした。大切な先生、愛する先生がいなくなってしまったことへの驚き。しかし天使がその場にいる女性たちに伝えます。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」

 復活日の朝イエスを納めたはずの墓は空でした。新しい霊の命をもって巣だって行ったように。

2012年2月号

 12月25日のクリスマス礼拝は大牟田聖マリヤ教会の人々と共にいたしました。

教会の玄関に近づきましたら火事によって焼け焦げた柱が幾本も集められて置かれていました。
玄関を入ってスリッパに履き替えました。
信徒たちで床の汚れを掃き、雑巾がけをしたとは云え、こびりついた炭はなかなか取れないようで、礼拝に出席した幼子は素足で歩き回っていたからでしょう、足は黒く汚れていました。

焼け残った聖卓、礼拝用具は会館に移動されていましたが、まだまだキチッと整えられた状況になるには時間がかかります。
その様な中で12人の人々と共に礼拝ができました。そのうち教会のメンバーは6人でした。 

わたしは説教の始めに「戦場のクリスマスのようですね」と言葉が出てしまいました。

これから先、どうしたら良いのか、まだ何も見えない。焼け焦げた建物、残骸が残ったままになっている。
でもそこで行う礼拝は暗闇の中にポッと光る希望の光のようでした。
初めてのクリスマスはこの様な混沌とした中にあったのではないか、と想像して、感慨深い思いとなりました。

礼拝の中で奉献をする時に、突然に会館に入って来る人がいました。
この人は40年ぶりに教会に来られた人です。
教会が落雷により燃えている真っ最中に教会の前を車で通ったそうです。
また母親は教会の信徒だったそうで、クリスマスに教会を思い出されたのでしょう。
お見舞いを持参してくださいました。

イエスの誕生の際に、東方から占星術の学者が神様に招かれてイエスを拝みに来た出来事を思い起しました。
お見舞いを献金袋に入れる姿は3人の博士が捧げ物をする姿を思い起こしました。

恵み多いクリスマスの礼拝でした。

2012年1月号

 アドヴェントツアーと称して降臨節の期間にフィリピン中央教区を訪問しました。
ツアーの目的は第一にヤコブ農園(ワークキャンプの行われている場所)を視察する事第二にフィリピン聖公会の兄弟姉妹に出会う事、第三にクリスマスを迎える諸準備としての買い物をする事でした。
参加者の中には海外に出ることが初めてという人々がいましたが、フィリピンの仲間たちに出会えて、良い体験をされたようです。

わたしのフィリピン訪問はこれで最後になる、と話したからでしょうか、フィリピンの仲間たちは退職前の訪問と受け止めたようです。
フィリピンには多くの知合いがいますが、会う人会う人「何時、退職か?」と聞いてくるのです。
わたしの為に特別に準備してくださった、寄せ書きが贈られました。数人が「退職してからの人生に神の祝福がありますように」との文章を書いてくださっていました。

これらの文章を読みながら、心の備えを始めた自分に気づきました。まだ一年以上あるのに。

個別に挨拶文を手渡してくださった文章には次の言葉がありました
「わたしの父が牧師を退職(Retirement)する際に、話してくれたことを思い出しました。Retirement(退職)とはRe-tiring車のタイヤを再び取り付けること。新しいタイヤを付けて、新たにエネルギーを与えられること。父は退職後16年間働きました。」

まだまだ退職を実感していないわたしですが、前もって様々な励ましを受けるアドヴェントツアーでした。アドヴェントはアドヴェンチュアー(冒険)に繋がる言葉と聞いています。
わたしたちの人生は実際には退職というものは無く、常に新しいタイヤを取り付けて冒険的に生きるものではないのか。

2011年12月号

 9月27日から2週間、フィリピン中央教区のエチャネス・カディオガン司祭を九州教区にお招きして教会の人々との交流を持つことができました。
同司祭にとっては初めて外国訪問となりますので緊張しながらも、喜んでおられました。日本訪問なので日本についても学んで来られたようです。
教会での食事会の時です。この度の訪問につい次のような感想を話されました。
「歴史的にフィリピンと日本の交流には『残酷』な部分がありました。しかしこの度の各地での温かなおもてなしによって新しい部分を見ることができました。」

アジアの人々との交流を始めるに際して、また継続する中で、日本人として忘れてはならない歴史を、この度カディオガン司祭から指摘され、身を正す思いになりました。

足を踏んづけた人はその事実を直ぐに忘れますが、踏んづけられて苦痛の叫びをあげた人は決して忘れません。

この夏に長崎で開催されたGFS全国研修会には大韓聖公会から2名の参加者がありました。
研修として岡まさはる記念館を訪ねましたがそこには日本軍が朝鮮半島、中国大陸でしてきた蛮行が写真によって展示されていました。
日本の参加者たちの中には衝撃を受けて、まともに見ることもできない様子でした。
その様子を知った韓国の代表マルタ・チャ姉は違った衝撃を受けられました。
「このような歴史を当時者である日本人が、よくわからないということに驚いた。」と。

踏んづけられた者は決して痛みを忘れない。
でもキリストの十字架の赦しと復活による新しい歩み故に、踏んづけた者と共に歩むことができる。

 アジアの仲間たちとの交流では、この度のように十字架の赦しと復活による希望がクローズアップされてきます。

2011年11月号

 福島原発の事故により高濃度の放射能汚染が拡がっています。
その被害は今も継続しており、福島県民は恐怖と不安と闘いながら、今も必死に耐えながら生きている、と聞きました。

郡山は放射能の溜まり場ホットスポットと言われる場となっていますがここに聖公会の教会と幼稚園があります。

毎日、幼稚園の先生たちは少しでも放射線量を下げようと高圧洗浄機で園舎の除染をしています。

そこに派遣されている司祭は避難しない、また避難できない人々を訪問しておられます。

ある高齢者を訪ねた時この方から手を握られて涙ながらに訪問を感謝されたそうです。
そして司祭に「いてくださるだけで嬉しい。」と言われたそうです。
いるだけで嬉しいと言われたのは初めてであり、嬉しいと司祭は目に涙を滲ませながら言われました。

この司祭も既に放射能の被害を受けている人でした。
携帯電話と同じような形、大きさの放射能線量計を胸のポケットに入れていました。
それを見せながら「このテーブルに置けば線量は0.03シーベルトですが、わたしの胸ポケットに入れると0.3シーベルトになります」と言われました。

汚染された地域に住む人々を励ますために、その地にとどまり、自らも被害者となる。
人々を励まし、力を与えるために自らも汚れる。
その姿はイエス・キリストの姿と二重写しに見えました。

罪と背きと過ちに悩み苦悩する人々の傍に一緒にいる。

そして他の人々からは罪に汚れているといわれる。
自らも汚れながら人々に力と希望を与える。

「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4:16)
キリストのように生きている人々に主の祝福を祈ります。

2011年10月号

 日本聖公会GFS全国研修会が長崎で行われました。
長崎は原爆が投下された街です。1945年8月9日午前11時2分に浦上地域を中心にして原爆投下により地獄が作り出されました。
7万人が即死。その後約7万人が被爆者として苦渋の人生を生きなければなりませんでした。

生き残った被爆者は、自分の目で見、焼かれる匂いを思い出して、地獄でしたと証言さています。

人間が何故、他の人々を地獄に突き落とすのか。

地獄で絶望の叫びを叫ぶ人の声を聞くならば、加害者の魂は激しく揺さぶられるのではないか。

長崎には、他の人々を地獄に追いやった人々の姿をパネルと文章で伝え続ける「岡まさはる記念長崎平和資料館」があります。
GFSの参加者はここをも訪ねました。そこには日本軍がアジア各地で行った蛮行が記されています。
その文章またパネルを見ているうちに胸がむかむかする様な思いになり、見続ける事が出来ませんでした。
日本人がアジア各地で人々を地獄に突き落とした姿を。

パネルには世界の各地で行われている蛮行も展示されていました。

人間は何と悲しい存在なのか。状況が変わると人間の心は消え失せ、悪魔になってしまう現実。

今回GFSに参加した韓国の代表は、それらの資料を見ながら「これは人間の問題です。」
自分さえ良ければと云う「欲望の問題です」と言われました。
日本人の問題、アメリカ人の問題というよりも根本的には人間の問題と指摘しながら、クリスチャンとして共に平和を造り出す者として歩みましょうと、表明してくださっているようでした。
欲望の問題とは、まさにその通りです。欲張りが、他人を地獄に陥れている。

「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」との祈りを 思い巡らしました。

2011年9月号

 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」 (ルカ3:22)

生まれたばかりの子を腕に抱く人々。親、きょうだい、親しい人々、教会の人々。その人たちの顔には「あなたはわたしの愛する子」と身体全体で言っているかのような雰囲気を漂わせています。

祝福を受けている幼子、祝福する人。この二人の姿を離れたところで見ている者にも喜びが起きて来ます。

祝福されるときに喜びが与えられるように、祝福するときにも喜びが与えられるようです。赤ちゃんを抱いている幼い姉、幼い兄の幸せそうな姿からそのメッセージを受け取ります。

母の祝福と言えば、ある信徒の話を思い出します。母がこの世から旅立つときに、傍にいる息子に言ったそうです。
「お母さんのすべてをあなたにあげる。」
財産のある母親ではなかったので、母親の思いの丈すべて、愛情のすべて、祝福のすべてをあなたにあげる、との意味だったのでしょう。
彼は、嬉しかったと話しておられました。

しかし祝福しあっている仲間であっても時には感情的に激して争う姿も見られます。

争うには理由があることでしょう。赦さないことをイエスは責めてはいません。
ただ、祝福から離れないように「七の七十倍までも赦しなさい」とイエスは言われ、「復讐するは我にあり、我これを報いん」(申命記32:35)と神は言われます。

祝福ができない状況に陥ることはいやなことです。その様な時には意図的に祝福を与えなさい、とのマザー・テレサのメッセージには心をひかれます。

「でもとにかく彼らを愛しなさい」、「でもとにかく良いことをしなさい」、「でもとにかく誠実で正直でありなさい」

2011年8月号

 6月に開催が決められていた主教会は会場変更して仙台において行われました。

マグニチュード9の大震災によって仙台基督教会礼拝堂は大きな損傷を受け、危険な状態となっているので礼拝は平屋の会館で行われています。この会館で主教会が行われました。

今回の主教会では全主教が被災地に立ち、その被災状況を目のあたりにし、また被災者支援を行う東北教区の人々および「いっしょに歩こう!プロジェクト」の人々と話し合いをいたしました。

甚大な津波被害を受けた南三陸町を訪ねました。
案内してくださった方はおもちゃ図書館等の責任者であり、命が助かった被災者の一人でした。

高台にある施設であり、避難場所にも指定されている所でしたので津波警報が出ても、まさかここまで来るとは思っていなかったとのことです。
しかし、あれよあれよと言う間に2m程の高さまで水が上がり、この方は樋が目の前にあったのでそれにしがみつき、体を持ち上げ、やっと息をすることができたとのこと。 

津波によって根こそぎ持って行かれてしまった場所。
そこには今後、建物は建てられないとのこと。
その様な状況の中で、どのように生きていったら良いのか。

一時は1500人の被災者を受け入れた避難所ベイサイドアリーナには警察も常駐しており行方不明者の情報が閲覧できるようになってました。

しかし案内してくださった方、被災者でありながら様々に働いている人々の顔に笑顔を見た時に次の聖句が思い浮かびました。 

イザヤ6章13「切り倒されたテレピンの木、樫の木。しかし、それでも切り株が残る。」
11章1「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育つ。」

2011年7月号

 5月10日から2泊3日の教役者会が開催されました。
毎年、九州教区の聖職たちは春と秋に教役者会を開催し、主イエスを信じて一つとなって九州地域の伝道、宣教の働きをしていることを、祈りをもって確認し、情報交換を行なっています。

この度はカトリックの伊万里トラピスチヌ修道院を会場にして行い、朝の修道院のミサにも出席させていただきました。
修道院のミサですので地域の教会で行われているミサとは多少、違いがあるようでしたが、何をしているのかは理解できましたので、霊的に参加することは出来ました。

ミサが始まる前に神父が挨拶に来られて、恐縮しながら「まだ陪餐を一緒にできる環境になっていないのです。残念です。」と丁寧に伝えてくださいました。

カタリナ霊母様も聖公会のわたしたちが修道院を用いて祈り、会議することを、本当に喜んでくださいました。
わたしたちが閉会の祈りをしている時には傍らにおられ、祈りが終ってから挨拶していただきました。「主の祈り」が一緒でしたね、と嬉しそうに言われました。

この喜びはまさに、わたしが朝のミサに出席していたときに感じたことでもあります。

陪餐はまだ共にできないと知りつつミサに出席しましたが、いつか、共にできる日の来ることを心に願っていました。
その時に修女様たちによって「主の祈り」が歌いながら唱えられたのです。
わたしは一致の約束、希望を知らされたような喜びを持ちました。
この「主の祈り」は日本聖公会と日本カトリック教会が共同して翻訳し、定めた祈りです。
最も大切な祈りを一致して祈ることができている。

お互いに尊敬しつつ、一致の早く来ることを願うこの姿を神様は祝福してくださっていると確信いたしました。

2011年6月号

 「様々に想像すること」これは大切なキー・ワードです。この趣旨の言葉を東北教区の加藤主教様が述べておられました。

東日本大震災、津波、原子力発電所の事故。これら天災また人災による被災者の苦難、悲しみ、不安、絶望、望みをマスコミの情報によってわたしたちは自分なりに想像いたします。

現地に赴いて直接に被災者から話しを聴き、また被災現場を目にする時には、その想像は変わって来ます。

凄まじい被災状況ゆえに、ただただ唖然として、言葉もない、と言われる人の言葉に、現実の重さを感じます。

九州教区センターにも福島原子力発電所の事故ゆえに避難して来た人々が訪ねてきました。それぞれに幼い子どもと一緒でした。子どもへの影響を敏感に感じ取った人々でした。その思いの深さを知らされました。

津波被害を受けた地区とそうでない地区とでは「光と闇」ほどの違いがある。被災者は「まさに『天国と地獄』です。」と言われたと、現地を視察した柴本司祭は報告しています。

聖パウロはローマの信徒に手紙を送り「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」と言われました。そのように出来るならば、力となるのでしょう。しかし、そう願いつつも同じようにはなれない。

そうであっても被災者に思いを寄せ、その人々に関わり続ける東北教区の人々の一生懸命な姿は印象的でした。物資を避難所に届ける教会の人々。物資を受け取る人々。双方の会話の中に、さわやかな雰囲気を感じました。

九州と東北はかなり離れていますので肌で感じる受け止め方には違いがあるでしょう。しかし「様々に想像しながら」関わり続けることを神様は祝福して用いてくださるはずです。

2011年5月号

 東日本大震災の甚大な犠牲者、被災者、大切な人を亡くした人の悲しみ、家を流失した人たちの茫然自失の姿が知らされるたびに、心が重たくなります。

被災地から1000km程離れた九州からは様々に自分流に思い巡らしながら、涙することが再三でした。
何故、こんな酷いことが起きたのか。そんな「なぜ!」を礼拝堂で神様に訴えたりもいたしました。

皆さんもそれぞれに心が震える思いを、また心がザワザワする時を過ごしておられることと推察しております。

この様な時に思い浮かんだ言葉があります。国際連盟難民高等弁務官であった緒方貞子氏の云われた言葉です。
話されたそのままの言葉ではありませんが内容は次のようでした。
何千、何万人という難民を目の前にして、するべきことの多さに圧倒される。自分の能力を超える課題が提示されている。
しかし、出来ない等と言って足踏みしていてはいけない。よく考えて実行するしかない。
しなければならない。目の前に難渋している人がいるじゃないですか。

迫力ある、説得力ある言葉でした。

大震災の甚大な被害の前でオロオロしてしまいますが、目を確りと向けて見つめることがわたしたちのしなければならないことでしょう。出来るだけ共感(コンパッション)を持てるように注目し続け、主なる神様のお支えと復興の道が与えらことを信じて祈りを続けましょう。

苦しみを必ず恵みに変えてくださる主を信じて。

苦しみ、悲しみ、望みを失った人に必ず寄り添っておられるインマヌエルの主を信じて、祈り続けましょう。
状況に応じて必要なことが知らされるでしょう。その時には十分に応えてください。主と共に!。

2011年4月号

 2月11日に東京教区主教按手式が香蘭女学校で行われました。同女学校の隣りに三光教会があります。その教会はわたしが洗礼を受けた教会です。

按手式の手助けをしている人々は三光教会の人々であり、わたしの青年時代の仲間たちが多くいました。中には45年ぶりに再会したので、名前を言われるまで、まったく誰が、誰やら分りませんでした。目の前にいる白髪の人を見ながらその人の青年時代の顔を思い浮かべつつ、似た所を探す作業をしました。

しかし、老人同士であっても心は45年前の若々しい心に帰えることができて嬉しい時でした。
昔の若者がわいわいがやがや言いながら、主教按手式と祝会のお手伝いをしていました。

でも実際の若者の顔があまり見えないことが気になりました。九州の教会でもそうですが東京でも同じ状況です。

45年振りに母教会に帰って、再会を喜ぶ状況を今の若者は体験出来るのだろうか。45年後には教会が他の教会と一緒になって閉鎖されているのではないか。

45年後と言うよりも、10年後には既に閉鎖されている教会があるのではないか。

わたしたちが良かれと思っている教会が世の光、地の塩として存続し続けているのだろうか。

自分たちの居場所になっている教会が、若者たちの居場所にはなっていないのは何故か。居場所が見つけられず孤独の中にいる人がいると聞いているのに。日本聖公会が人々から必要とされていないままで良いのか。
主イエスの働きを担うために共に集められているわたしたちです。

来年9月にはこれらのことを確りと見据えて日本聖公会の宣教協議会が開催されます。わしたちの教会が良い方向へと歩み出せる機会となりますように祈ります。

2011年3月号

 黙想する際に、わたしは主の祈りをユックリ唱えて行うことが多いのですが、主の祈りのどの言葉に心が捉えられるかは時によって違ってきます。

「わたしたちの罪をおゆるしください。」が黙想の中心になっていた時期もありました。二、三年前は「天におられる」の呼び掛けによって、確かな信仰のより所を得られる感謝をいたしました。

今、わたしの中心になっている箇所は「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。」の祈りです。今、共に生きる世界の仲間たちに食べ物がない、飲める水がない、 寝る場所がない、命の安全が脅かされている人たちがいる、と思い巡らすときに心が重くなります。

 貧しい国北朝鮮に住む 故にこの寒さに耐えなければならない人々。食べ物も十分にない人々。親族、家族が離散家族として困難の中にいる。前ソウル教区主教である朴耕造師は親族が困難の中にいることを思い、身に染みて「日ごとの糧を今日もお与えください」と祈っているのではないかと想像します。

 力ある支配者が贅沢な生活をしていると聞くときにその落差に驚きます。
 力ある国と貧しい国の落差にも驚きます。グローバル化は富の格差を一層広げて、貧しい国の人々の生活は人間の尊厳をも奪う取る危機を感じます。

 「すべてのものは主の賜物」であるにも拘わらず、主に捧げることができず自分の懐にしまってしまう。主の賜物を主に捧げられるならば、共に生きる人々が神様から与えられた命を輝かせて生きて、「み名が聖とされますように」との祈りが実現できるのにと思うのです。それが出来ない故に「わたしたちの罪をおゆるしください。」と祈り「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」と祈ります。

2011年2月号

 「明日の朝、神様がいらっしやるよ。」
このタイトルはNHKラジオ番組「深夜便のうた」として流されていた曲です。このCDを菊池黎明教会の信徒からクリスマス・プレゼントしていただきました。
この方は朝3時に起床するのでこの番組を良く聞いているとのこと。

児童合唱団が歌っていまして、天使の声かと思える透きとおった声です。

繰り返し、繰り返し、「明日の朝、神様がいらっしゃるよ」と歌い、その間に、苦しみはもうない、悲しみはもうない、嵐はもう来ない、吹雪ももう来ない、涙の跡を癒すために、血が流れた草原に、の言葉が歌われます。印象的な言葉は「ロバを連れて,迎えに行こう」の言葉でした。イエスのエルサレム入城を思い起しました。

神様がいらっしゃる。その神様をお迎えしようとの姿勢によって、苦しみはもうない、悲しみはもうない、との状況が与えられるのではないか。あなたの信仰があなたを救った、とのイエスの言葉を思い出します。

夜には、心が落ち着くというだけではなく、落ち込んでしまうこと、悪く、悪く状況を捉えてしまうこともあります。

その様な中で「明日の朝、神様がいらっしゃるよ」と聞く言葉は、希望と力となるのではないでしょうか。

わたしはこの歌に感動しまして10数枚買い求めて、友人たちにプレゼントしました。連れ合いを亡くした人、重い病気を患っている人、心を許す友達に。

このCDの宣伝をしているわけではありません。
でも伝道とはこの様にして行われるものだと思い起こしました。

感動が次々に伝えられていく。感動した人が特別に思いを込めて伝えてくださった。その思いにわたしも感動して、行動を起しました。

2011年1月号

 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
(ルカ1章28節)

マリアに天使ガブリエルが言われた受胎告知の際の言葉です。「おめでとう」の箇所を「喜びなさい」とも訳すことができます。

おめでとう、喜びなさい、と言われてもマリアにとっては貧しく、蔑まれ、更には愛する子イエスが人びとから憎悪の声をもって殺される姿を目の当たりにしなければなりません。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれる」(ルカ2章35節)苦しみをいたします。しかし、「おめでとう、喜びなさい」と天使ガブリエルはマリアを祝福しています。

  新しい年2011年が始まりました。朝鮮半島での不安な状況、アフガニスタン、イラク、パレスチナ・イスラエル等などでの戦争、争いの声が絶えません。自然環境破壊がもたらす自然災害への不安もあります。

  心配すれば次々とあります。

  しかし、わたしたちがこれまでに経験してきた人生で不安のない時があったのでしょうか。

  わたしたちには明日、何が起きるか分りません。
でも、マリアを祝福した天使ガブリエルの言葉はわたしたちへの祝福の言葉でもあります。

  「主があなたと共におられる。」主イエスがわたしたちを愛してくださっている。たくさんの愛してくださる人に囲まれている。家族であったり、友人であったり、そして教会の仲間たちがいまする。

  このことを新しい年を迎えたこの時に、思い巡らして主イエスと人びとに感謝して一年を歩み始めましょう。

  イエスがガリラヤで伝道を始める際の次の聖句が心に思い浮かびました。
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
(マタイ4章16節)。

 


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