2002年12月号

 12月は教区報の巻頭に書かれた、主教のメッセージを掲載します。

 「言(コトバ)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ一章十二節)
主教ガブリエル 五十嵐正司
 言であり、命であり、光であるイエス・キリストの誕生は、それを信じる人にも新しい人となる誕生のときとなる。このことをー章十三節では「この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」と述べられています。
 主イエスのご降誕を祝うクリスマスの時期には、わたしたちは、わたしたちのためにお生まれくださったイエスに注目し、感謝する礼拝をいたします。
 しかし、ヨハネの福音書の上記の聖句を別な視点から注目しますときに、新たな喜びが湧いてくる思いがします。
 「その名を信じる人々には神の子となる資格が与えられる」 「この人々は神によって生まれる」と述べられている箇所です。
 クリスマスはイエス・キリストの誕生物語だけではなく、新しい人類の創造物語でもある。それ故に、ヨハネの福音書一章一節の表現となっていると言われています。「初めに言があった」の記述は、創世記一章ー節の「初めに、神は天地を創造された」との創造物語を前提にしています。
 一章十四節では「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」と記されて、神によって新しい人とされた人々の中に、神の栄光を見る、と述べられています。
 新しい人とされるとは、どのようなことなのか。
 寒いクリスマスの時期になりますと、わたしはボランティアで山谷に行きました際の光景が毎年目に浮かびます。路上で生活し、夜になると冷たいコンクリート、アスファルトの上に、何人もの人々が並んで寝ている姿です。特に、心に強く惹かれました姿は玉砂利の上に、毛布一枚に包まって寝ている人の姿でした。ボランティアの働きをさせてもらいましたわたしは、仲間と共にサンドイッチと燕かした温かなジャガイモをこの人たちに持参し、声をかけて、病気をしていな11、怪我はしていないか、し力など安否を問うことをいたしました。
 彼らの姿は、イエス様の母マリアとヨセフが泊めもらえる宿を与えられず、馬小屋に寝なければならたかつた情景とダブつて見えきます。そのような状況の中でイエス様はお生まになり、暗闇の中に、光して、また命として存在れました。そして、希望が見出せない、出口を見出せない状況の中にある人々にも、「その名を信じる人々には神の子となる資格が与えられる。」と言われるのです。
 山谷にある教会では年に三〇〇人、四〇〇人と受洗する者がいる、と聞きました。その受洗者の中には、自分で自分を見限り、家族、日本社会、また日本国からも見限られているのに、このような自分が「神の子」 になれるのですか、と目を輝かして洗礼を受ける人がいる、と聞いています。
 神の子とされた人々の集まりの中で、導いた牧師自身に感動と励ましが与えられている様子を教会報に見ることができます。
 イエスの誕生は、人を新しい人へと誕生させる恵みの時でもあります。


2002年11月号

 「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。」
 この言葉は皆さんが毎日唱えておられる主の祈りのー部です。
 わたしたちクリスチャンが何を指針として今日を生きたらよいのか、目の前の具体的出来事をどのように判断したらよいのか。教会は何を目して歩んだら良いのか。
 この指針の中で九州教区はフイリピン中央教区との協働関係を開始し昨年は九州教区からニ名(外池圭二氏、柴本司祭)がフィリピンを訪問し、九月にはニ週間ダグラス・ラプテン司祭に九州を訪ねてもらいました。
 二週間、キッチリした予定の中で、車、電車、バス、飛行機、そして一緒に行動してくださる人の手配が十分にされている中で、ダグラス司祭の活動が進められました。
 日本文化が凝縮されているお茶の御点前を初めの日にいただき、また一週間後にも、帰国する日にもお茶をいただき、送り出されました。たくさんの九州教区の人々の好意を受けて帰国時には驚くほどに体重も増えていました。
 この間にタグラス司祭は対馬の厳原聖ヨハネ教会において在日、滞日フィリピン人のためにフィリピ語で聖餐式・説教をされました。出席した 人は対馬に来て五年目にして初めてフィリピ人の司祭によつて、フィリピン語で聖餐式をしてもらえたと大いに喜ばれたそうです。
 週日に礼拝堂を訪ねる人の中には、十字架に手を触れ、泣きながら祈る人もいたそうです。文化の違う日本で辛い人生を生きる人にとってダグラス司祭の訪間は乾いた心に水が注がれる時だったのではないでしょうか。
 両教区の協働関係が「みこころが天に行われるとおり地にも行われる」関係であり続けますようにと折ります。


2002年10月号

 最近、病床で洗礼式をする恵みにあづかりました。
 受洗された方は強い意志を持って洗礼を受けた いと目を輝やかせて言われました姿が、印象的でした。
 そのときは、わたしの突然の牧会訪問で、彼は 五日間の帰宅をゆるされて自宅にいらした時でし た。ご家族の方々とー緒に病気について話していまし たときに、突如、彼が洗礼を受けたいと言われたのです。
 洗礼を受けて、キリストと共に生きて欲しいとの願いは、 妻の長年の祈りでしたので、それを聞いた家族の 驚き、喜びは跳びあがるようなものでした。
 しかし、洗礼を受ける準備ができないうちに別 の病気も発症し、意識がはっきりしない状態とな ってきました。体が良くなってから洗礼を受けた いと願いつつも、その時が何時訪れるか分からな い中で、幼児洗礼と同じように家族と敏父母の支 えの仲で受洗することになりました。
 病床で洗礼・堅信式を行い、誓約などの受け答 えはその場にいる者たちが彼に代わっていたしま した。
 式が終わって、その場にいた人たちがベッドの 傍らで安らぎの中で会話をしていました ときに、彼が「もう、最後のときが来ても 安心です。一緒にいてくれる方がいます から。」と言われたのです。それを聞い て家族もわたしも耳を疑いました。確かめよ うとわたしは枕元へ行きましたら、また同じこと を言われたのです。三回も同じことを言われる程 に彼は神様から、恵みの衝撃を受けたのだ。
 その場にいたわたしたちは、洗礼を通して、神 様は確かに働いておられると信じ、心が充たされ、 神様に感謝いたしました。


2002年9月号

 毎年夏には九州教区聖公会保育連盟(通称・・九聖保)の夏期研修が行われます。今年は霧島の研修所を会場にして開催され、約四〇人の参加で行われました。テーマはキリスト教保育について学ぶ、と言う教会幼稚園の原点を確認するものでした。
 参加者の中にはミ月末に催された新任研修に出席した人たちの顔がありました。この新任研修には二〇歳、二一歳の新卒の人たちも数名いました。幼稚園の教諭になる喜びと少しの不安を持ちつつ、緊張の第一歩を踏み出している人たちです。
 わたしは研修の講師として皆と関わりました。しかし、わたしが彼らを 見る目は、講師の目と言うよりも、娘を見るような心配性の親の目でした。
 しかしー学期を終えた彼女たちの姿は三月の不安げな姿と違った、一前の幼稚園の先生でした。安心いたしました。また自戒の念を持ちました。
 不安げな彼らと言いましたが、もしかしたら不安げなのはわたしや園長や先輩の先生たちのほうなのかもしれません。「大丈夫だ、チャンと先生に成るよ。」と励ますのは新人に対してだけではなく、研修を企画した人たちへの言葉でもあるのかもしれません。  父親からも単なる若者に過ぎないと思われていたダビデが、一旦イスラエルの王になるよう神様から選ばれ、祝福を受けてから、ダビデには 王の霊が激しく降るようになった、とサムエル記上一六章に記されています。
 ダビデのように、その働きを担う人には、主は霊を降し、相応しい人間 として成長させてくださる。この信仰が後縦者を生み出していくのではな いか。
 心配し過ぎも不信仰なのですね。新任の教諭からガツンとやられました。


2002年8月号

「互いに愛し合うならば、それによってあなたがた がわたしの弟子であることを、皆が知るようにな る。」(ヨハネ一三章三五節より)
 先日、主敏巡回で延岡の教会を訪ねました。前 日の土曜日に教会主催のチャリテイー・コンサー トが市民ホールで行われましたので会場に行って みました。初めて会う人々や学生がよく働いていまし た。入口で切符を切る人、会場の席まで車椅子を押し て案内する人、目の見えない人を席までエスコートす る人。その人々に混じって教会の人が笑顔で体を 動かし働いていました。また、体を動かせない仲 間も入口近くにおられて、嬉しそうにされていまし た。わたしたちのような小さな教会で、このよう なことができて嬉しい、と言われながら、皆の働 く様子を眺めておられました。その場に居合わせ てわたしも幸せな思いになりました。
 今回のコンサートは延岡出身の聖公会の聖職で あり、元プロのピアニストであり、盲人である日高執事 と小倉インマヌエル教会の信徒でありソプラノ歌手の金野さんによ るコンサートでした。ピアノ・コンサートも歌も 語りも心に響きました日高執事が地元出 身の人なので、地元のボランティア協会、 愛盲協会、九州保健福祉大学の先生、学 生などの協力を得ることができました。
 翌日の打上の昼食会は、地域の人々と の好意と信頼を分ち合う時でした。
 ボランティア協会の会長から「教会にお願いし たい。ぜひわたしたちを助けて欲しい。」と依頼さ れました時、教会が地域のー員として認められ、 期待されていることを知り嬉しく思い、力をいた だく時でした。


2002年7月号

 四月二八〜三〇日に日本聖公会の総会が開催されました。九州教区からはわたしを含めて五人の代議員が出席し、一一教区からそれぞれ五人づつ出席し、また管区の諸委員長なども出席しましたので六〇数人がー同に会する総会でした。
 諸報告、諸議案に対してはさまざまな意見が活発に交わされまし た。中にはわたしならば言わない意見もありましたが、その意見が議論のきっかけを作ることとなり、課題の明確化を促しました。
 九州教区代議員たちの貢献は大きなものがあり、九州、ゲンキ!の姿を見まして、九州数区を支える仲間たちに頼もしさを覚えました。
 また日本聖公会には信仰に導かれて、キリストの教会に奉仕する人々がこれ程に多くいることを肌で感じられたことも日本聖公会に対しての頼もしさを覚えました。小さな群の聖公会ですが、存在感のある、生きている群です。
 主教会も選挙で選ばれた主数たちによって構成されているにも拘わらずあたかも主教会全体を配慮して選ばれたかのようこ、必要な人が備えられていると思えるのです。まさに、主教会も総会も必要な人を神様は備えてくださっている。「主の山に備えあり」 (創世記二二章一四節より)を恩い起こさせてもらえる時でした。
 また聖パウロの次の言葉も、うなずきながら思い起こします。
「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。」
「一人一人に”霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」
「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」
キリストの体にあって共に生きられることに感謝です。


2002年6月号

 先日父親が急逝しました。姉から電話を受けて姉の第一声が「お父さんが亡くなったの!」との言葉でした。母が緊急入院していたので、母を心配していたわたしには父が死んだとの知らせは、あまりに突然のことで、驚き聞き返したほどでした。しかし姉から父の亡くなった様子と前日の様子を話してもらっているうちに心は静まってきました。
 葬儀は教会でしてもらいまして、教会の信徒・聖職の方々の奉仕には感謝でした。親族のほとんどが教会の葬儀は初めてでしたので、誠実な教会の人々の姿には心をひかれて感動しておりました。
 また心のこもった説教に多くの者が慰めと希望を与えられました。
  「お父様は夕食を楽しんでとられた後、床に就き、あくる日は神様のもとで目が覚められました。」という内容の説教でした。復活のメッセージをこのようにサラリとわかり易く表現する司祭に確かな復活信仰の証を聞きました。また初めて教会の説教を聞く者にも自然に受け入れられるものだったようです。
 入院中の母にも、説教の内容を伝えましたところ悲しみの中にも、神様のもとにいる父を想像できたのでしょう。ホッとした様子をしていました。
 教会の人々の温かさや司祭の説教によつて、父を亡くし寂しさと不安の中にいる者として安心と慰め、励ましと希望を与えられましたのです。そしてこの体験を通して、教会の信仰表明として語られます使徒信経の次の部分の確かさを再認識いたしました。「聖なる公会、聖徒の交わり(教会)」には癒しと励ましの力がある。「体のよみがえり、永遠の命」は確かな約束であることを。


2002年5月号

 昨年の六月から九州教区では教区の教役者とし て奉仕してくださり、逝去された人々を記念して 聖餐式をしております。その月の逝去者は六、七 人から十二、三人ですが、主教座聖堂の主任司祭で ある濱生司祭は逝去者全員の働きを調べて説教の 中で紹介してくださっています。良くも調べたも のだ、と感心するほどに様々な資料にあたつ ています。
 数区の初代に福音 伝道にたずさわった教役者の困難さは、今のわたしたちには驚くばかりです。話には聞いていても、私たちが定期的に祈り、その名前を身近に覚えている諸先輩が体験した苦労はまた違った思いで身近な出来事として受止めています。
 何の手がかりも、足がかりもない地域に行き福音を伝道しています。ただキリストの福音の大きな喜びを他の人にも知って欲しいとの願いに力付けられての働きで、ルカの福音書十章の弟子の派遣を思い起こさせるような姿でした。「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは狼の群に子羊を送り込むようなものだ。」ただ主の慈しみと導きを信じての働きのようでした。
 九州で伝道した後に北海道で伝道活動していた水科五朗師は吹雪の中に迷い、この世での働きを終えました。ひざまづき祈る形のままに亡くなっていたとのこと。
 逝去者記念礼拝では諸先輩に注がれたキリストのこの上ない慈しみを思い感謝すると共に、様々な諸先輩の苦労ゆえに今の九州教区があると思い、諸先輩に改めて感謝の思いが湧いてきます。
 またわたしたちの伝道の姿勢を改めて先輩たちから問われている思いとなります。
 毎月の教役者逝去記念聖餐式に記念される教役者を皆さんも覚えてくださいますように。


2002年4月号

 今月は、教区報巻頭に書かれた主教のメッセージを掲載します。

  『そこから先は、あの方がごー緒される』 主教 ガブリエル五十嵐正司
 
 遠藤周作の本「侍」の中にこの言葉が記されています。この言葉はキリシタンゆえに殉教に赴く侍に対して送られた励ましの言葉として用いられていました。
 遠藤周作は何度も大きな手術を受けた人ですが、ある入院中に、誰かは知らぬ者から踏み絵を見せられたそうです。彼にとっては、最も辛い時期にキリシタンの踏み絵を見せられたとき、彼はキリストの力を内に感じ、これをテーマとして本を書こうとしたのではないでしょうか。
 わたしは手術室に赴く人にはこの言葉を紹介することにしています。
 はたしてこの言葉が力になっているのか、どうか、それは分かりませ。しかし、辛いときには殊更に働いてくださるキリストの恵みを思い起こすとき、良き励ましとなるよう願い祈り伝えることにしております。
 この言葉を送った幾人かの人の顔、様子が思い起こされます。回復して、今、元気にしている人、入院中の人、手術も出来ずに一ヶ月後には亡くなられた人。
 辛いときにキリストがご一緒してくださる。このことを受け入れることができるとき、わたしたちは最早独りではなく、一緒に辛い現状と取っ組んでくださる仲間であり、王であるキリストを実感し、励ましを得られることがあるのではないでしょうか。
 創世記32章に記されていますヤボクの渡しでのヤコブのことが思い起こされます。ヤコブは兄エサウから殺されるのではないかと不安のうちにヤボクの渡しで、苦悩します。その苦悩ととことん付き合ってくれたのが天使でした。ヤコブが兄エサウまた神様にありったけの不平不満を叫んでいるとき、天使はそのヤコブの苦悩と付き合い、それによってヤコブは神様が実に苦悩の中に共にいてくださることを知ります。そして兄 に会うべく前進する力が与えられました。
 この共にいてくださる神様に全てを委ねること。命をも含めて全てを委ねることができるとき、新しい視野が見えてくるのではないでしょうか。
 わたしたちがどんな時にも共にいてくださるキリストは、勿論、わたしたちが死の谷を歩む時も、共にいてくださる方であることを、わたしたちは詩編23編4節の言葉で知らされています。
「死の陰の谷を行くときも、 わたしは災いを恐れない。 あなたがわたしと共にいて くださる。」
 死ぬときもお供をしてくださるキリストは、わたしたちを導いてくださり、わたしたちによみがえりの命を与えてくださることとなると言われるパウロの言葉を思い起こしてみましょう。コリントの信徒への第一の手紙15章20節以下の次の言葉です。「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の 人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまりアダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」
 また、それこそが実に神の御心であると主イエスが述べられる言葉に平安を覚えます。「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をー人も矢なわないで、終わりの日に復活させることである。」(ヨハネ6章39節)


2002年3月号

 先日、東京に本部のあるナザレ修女会の会友会に出席しました。会友会において話をするように招いていただき、前夕の夕食に間に合うよう到着を依頼されましたので六時丁度にたどり着きました。夕の折りをしている時でした。祈りに参加し、翌朝までの沈黙も共にし、早朝の祈り、聖餐式に出席してから十時半に始まる会友会に出席いたしました。
 昼食後、修女の皆様が紹介されまして、その中で修女のお年が紹介されました。最高齢は九十四歳、その次は九十三歳、その次の方のお年の紹介はありませんでしたが、高齢者の皆さんでした。
 しかし、皆さんのしっかりとして生活されている姿、修女として生きておられる姿に心惹かれました。
 九十代の方々、八十代の方々が、今も、神と人々に心を向けて、人生の当事者としてしっかりと生きておられる姿でした。
 かつては幼稚園を経営し、ブラジル伝道にも赴き、またオルター・ギルドの研修のため講師として教会に招かれ、祭服を作り等々多くの働きをされましたが、今は「必要なことはただーつだけである。マリアは良い方を選んだ。」と言われた主イエスの御言葉に従って折りによって、神を愛し、人々を愛する生き方をされて輝いてる姿でした。
 高齢社会となっている今、多くの仲間は定年を迎え組織からリタイヤしています。またリタイヤしようとしています。
 しかし人生にはリタイヤのないことを思うとき、 「必要なことはただーつだけである」とのイエスの御言葉が浮かび上がってきます。


2002年2月号

 クリスマスの明け方、桜島を覆う雷雲の荒々しい姿にベッドから飛び起きました。部屋の中に雷が落ちたかと思うほどの音と振動でした。部屋の目の前に錦江湾があり、その湾の中に桜島が雄々しく立っていますので、桜島の意思表示、雷の意思表示が部屋の中に有 無を言わさず入ってくるようでした。自然に対して畏怖の念、畏敬の念を覚えました。
 正月には富士山に目を奪われました。その姿を指して藻として立 っていると言うのであろうと思う程に縞麓に雪に覆われた姿でした。
 また関東の正月は快晴が続きました。明け方に太陽が昇ってくる際に少しずつ変わっていく空の色は見事でした。また見ることの出 来ない程にカーッと輝く太陽が昇ったとき、神様に向かって喜び、神様を賛美する太陽を思い浮かべました。
 被造物であるこれらの自然が神様に向かって自己存在を表明しつつ、神様を賛美していると思ったとき、わたしは自然に対し、神様 を賛美する仲間として親しく感じ嬉しく思いました。また頼もしい仲間と思いましたのです。
 朝の礼拝で「万物の歌」を唱えていますので、その言葉が思い浮かび、自然と共に神の恵みに感謝・賛美できる恵みを改めて知らさ れ嬉しく思いました。
祈祷書二八頁に記されている言葉の幾つかを紹介いたします。
 主に造られたものよ、主をたたえ、世々にほめ歌え。
 天よ、主をたたえ、世々にほめ歌え。
 稲妻と雲よ、主をたたえ、世々にほめ歌え。
 地と山と丘よ、主をたたえ、世々にほめ歌え。
 全ての人よ、王をたたえ、世々にほめ歌え。


2002年の土の器 2001年の土の器

Send mail to WebmasterE-mail: d-kyushu@ymt.bbiq.jp


日本聖公会九州教区