2010年バックナンバー

2010年12月号

 神様は、わたしたちと共にいてくださることを確信させてくださる為にわたしたちの所に来て下さった。
わたしたちと同じ人間の身体をもって母マリアを通して来て下さった。それ故に、神様は特別な名前を持って来て下さった。「神は共にいる」インマヌエルの名前を持って。

わたしたちが神様に感謝するクリスマス・メッセージはこの事です。

神様に、共にいてください、わたしの所に来て下さい、と願う人は、多くは、困難な中に生きている人です。その意味で幾つかのクリスマス物語は極貧の中に生きる人々への神様の愛が述べられています。マッチ売りの少女物語もその一つです。

また靴屋のマルチンの話しもそうです。
クリスマスを迎える準備として、クリスマス物語を読むことをお勧めいたします。マタイの福音書、ルカの福音書に記されています降誕物語を新しい視点で読むことができるかもしれません。

わたしはフィリピンのマニラを始めて訪問した時の印象を思い出します。スラムと言われる地域を訪ねました。ベニヤ板の古材で建てられている小屋に目が向きました。中に人がいなかったので、ずうずうしく覗いてみました。
畳一畳程の小屋でした。電気も水道もありません。生活道具も殆ど無いような状態でした。その小屋の壁にイエス・キリストの絵が一枚貼られていたのです。
わたしが意識し過だったのでしょうか。イエスの姿が大きく見えました。

道端にもっと小さな小屋がありました。小屋の前で少女二人が、泥水で洗濯していたのです。
主イエスがガリラヤ地域で神の救いの働きを開始する際に言われた言葉を思い出します。
「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
(マタイ4:16)。

2010年11月号

 管区人権セミナーの企画によって埼玉県の狭山市を訪ねました。1963年5月1日に女子高校生誘拐殺人事件の起きた現場を歩き、犯人とされ無期懲役とされた石川一雄さんの話しを伺うためです。

この事件は冤罪事件として社会的にも知られていますが、特に部落差別にもとづく冤罪事件ゆえに部落解放同盟が全国的に運動を進めている事件です。
日本聖公会はこの運動に賛同して、今回のように学習を続けています。

「犯人」に作り上げられる過程は、まさに郵便不正事件に絡んで証拠改ざん、証拠隠滅を行ってでも犯人を作りあげる検事の動きにも似ています。

石川さんは、検察の集めた膨大な証拠が開示されるならば無罪が証明さるとして、証拠開示を再三要求しています。

しかし、40年近くの裁判闘争を自分たちの運動体だけでは、多くの人々に理解してもらえるまでにはならなかった、と言われ石川さんは聖公会の動きにも感謝してくださいました。

石川さんの悔しさ、無念さ、また絶望、更には希望等々の思いの深さを想像はできても、わたしには到底知ることができません。しかし「今回も遠方から来てくださってありがとうございます。このように来てくださる皆さんから力付けられます。」と言われる石川夫人の言葉にわたしは、反対に励まされました。

関心を持ってはいても何をどうしたら良いのか分からず、ただ傍にいて挨拶するだけ。そうであっても「力付けられます。」と言われました。

100万人署名を集める運動体の様な働きはできなくても、常に挨拶する程度のサポータであっても、わたしたちの仲間です、と祝福された思いがいたしました。

寄り添うだけでも祝福されて、力を与えられました。

2010年10月号

 7月に管区から北朝鮮人道支援の案内が送られて来ました。そのポスターには「あたたかい心を練炭とミルクに込めて」と記されていました。

北朝鮮支援と聞きますときに、本当に支援物資は必要な人々に手渡すことができるのか、との不安の声を聞くことがあります。

わたしはこの働きの中心人物の一人である前ソウル教区主教フランシス朴主教に話しを聞く機会がありました。朴主教は北朝鮮を既に三度訪問しています。北朝鮮の物資不足は一目見ただけで分かる程の状況とのこと。
冬ともなると北朝鮮の寒さは厳しいものであり、貧しい人々にとって防寒対策は命につながる状況とのこと。

北朝鮮に住む人々の困難な生活を少しでも手助けしたい。しなければならない。その思いの切実さは、自分の親、兄弟姉妹が難儀して北朝鮮に住んでいるとの現実から来ていると知らされました。

1千万人程の人々が朝鮮戦争の際に、気が付いたときに、北と南に分かれて住むようになってしまっていた。
朴主教のお連れ合いの長兄が、北朝鮮に生きている情報を偶然に、7年前に知る事ができたとのこと。その後、手紙のやりとりもできるようになったとのことです。

長兄は孫も与えられて北朝鮮に生活しておられます。寒さに難儀し、食料不足、ミルク不足に苦労する北朝鮮の人々の問題は、離散家族の人々にとっては自分ごととして受けとめる出来事なのでしょう。

北朝鮮支援の働きは自分の家族の問題として切実な働きであることを、朴主教を通して実感いたしました。
これまでの練炭を送る活動は、必要な人にも届けられているとの話しをうかがいました。

2010年9月号

 七月には延岡聖ステパノ教会と大口聖公会にも主教巡回をいたしました。
その際に、直方キリスト教会信徒の希望によってその方を同道しました。

主日の礼拝直後にその方が謙虚に、しかし熱心に直方キリスト教会が如何に幼稚園教育を大切にしているか、幼稚園を通じて伝道の働きを続けたいかを訴えられました。

三月の臨時教区会では直方キリスト教会への資金融資は出来ないと結論が出されました。その結論は同教会の進むべき道が閉ざされ、にっちもさっちも行かない状況となり、呆然としている様子でした。しかし会場を去る際に、一人の方が、イエス様は必ず良い道を与えてくださいます、と信仰告白された言葉は印象的でした。

弱ったものを励まし、倒れた者を立ち上がらせる神様はその後すぐに新たな道を示されました。

人々に頼り切って園舎改築を計画していた教会員は、新たな道を示された時に自分たちでしなければならないと自覚したのでしょう。

建築資金は自分たちの努力と熱意でなんとかすると決意したのでしょう。心配を掛けた各教会には自分たちで出かけて説明し、理解してもらい募金の協力依頼もしたいと、教会員はそれぞれに役割分担して各教会を訪問しています。

三月の教区会の頃は、まだまだ他人事として園舎改築に関わっていた人々が、今は本気になってキリスト教教育を自分たちが担うのだと決意して奔走しています。各教会を訪ね、話しをする人々の顔は輝いてました。

人は変わることができる、教会は変わることができる。主イエスがわたしたちを変えてくださる。直方キリスト教会の人々の生き生きした様子を見ながら、彼らに主の祝福を願い、主に感謝しています。

2010年8月号

 五月一五日に米国聖公会ロスアンゼルス教区の補佐主教に同性愛を公にするグラスプール師が主教に按手され、就任しました。

これまでに米国聖公会が同性愛を公にするロビンソン主教を教区主教に按手したことから世界の聖公会に分裂の危機が生じ、このために世界の聖公会では一致を回復するための様々な試みをせねばなりませんでした。

その一つがモラトリアム(一時休止)です。同性愛者の主教職への按手、同性婚の祝福、他の管区への介入。
この三つについてのモラトリアムによって一致を保とうと世界の聖公会は動いていました。
しかし、今回のグラスプール師の主教按手は衝撃的です。特にイスラム教圏に生きる聖公会員にとっては特別でしょう。

同性愛が犯罪として受けとめられる環境の中で聖公会員として伝道することの困難さ、危機感は日本で想像する以上に大きなものなのでしょう。

しかし、米国聖公会が同性愛者の苦しみに注目して聖書的にも、医学的にも五〇年間も学びを続けてきた。
その結果として今日があるとの言葉もまた誠実に聞かねばなりません。

双方が誠実に聖書解釈をして行動していることを理解します。わたしも双方の解釈を読みました。ランベス会議では双方の主教たちの努力、思いを聞いてきました。その人々の顔を思い起しつつ、わたしは次の言葉を支えにしています。

聖公会とは「解釈し続ける共同体」、「極端な主張を排除しつつ中庸の立場に立ちながら神の真理を追究する教会」である。

迷う時にわたしが拠り所とする御言はヨハネの福音書一三章一節です。
イエスが弟子たちに裏切られる直前に示された姿。
「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」

2010年7月号

 「宣教の原点に立ちかえる」ことを願って昨年行なわれた「日本聖公会宣教150周年九州教区感謝礼拝」は九州教区の初代宣教師たち、伝道者たちの激しい程の伝道スピリットに触れる時でした。

またカンタベリー大主教と共に核兵器廃絶と世界の平和を願い、カトリック長崎大司教区の人々と共に祈る時もキリスト教会の宣教スピリットに触れる時でした。世界の仲間と共に、諸教派の仲間と共に、諸宗教者と共に行なうべきスピリットに触れる時でした。

最も大切なことをも忘れるわたしたち人間に対して神様は「繰り返し教え、家に座っているときも、道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更には云々。」(申6:7−)と繰り返し思い起すことの重要さに気付かせてくださっています。

昨年、わたしたちが受けた伝道、宣教のスピリットを今年も確認したい。そう願って5月に教区大会が開催されました。

この大会は五十嵐主教就任十周年を記念して開催されましたので、それぞれの教会から代表となる人々が参加してくださり教区が一つとなって、喜びのうちに感謝賛美の礼拝をする時となりました。祝会ではお祝の言葉をいただき、わたしはただただ恐縮していたのですが、皆さんの熱い思いをもってのお心を伝えていただき、わたしも皆さんへの感謝の思いが湧いてきました。

わたしが願っている幻「アジアの中にあって伝道、宣教する九州教区」は朴主教(前ソウル教区主教)の講演と昨年のタクロバオ主教(フィリピン中央教区)の説教によって少しづつ姿が見えるものとなり嬉しく思っています。

十年間、九州教区を導き続けてくださっている神様に感謝します。

2010年6月号

 今年も召命黙想会を湯布院のサレジアン・シスターズのご好意によって同黙想・研修所を使用させていただき行なうことができました。

参加者十名、スタッフ五名、山野上素充司祭(大阪教区)様を講師に招いての実施でした。
山野上司祭様はこの黙想会のためにご自身が先ず黙想をして備えてくだったのであろうと想像するような講話でした。

キリストと共に生きていく。キリストが共に生きてくださっている。そのことをご自身の人生を総括してわたしたちに提示してくださいました。提示と云うよりも「証し」をしてくださいました。

総括の中には、恥ずかしくて人には云いたくない「ぶさいくなこと」(ご本人の表現)もあったとのことですが、それをオープンすることによって、かえって人々との深い繋がりをもたらすこととなったと話されました。見た目には困難な出来事であっても、受け止め方は人によって様々と、これまでの人生の中から語る山野上司祭様はポジティブ(前向き)思考の代表者みたいでした。

ネガティブ(否定的)になりがちなわたしたちはそのポジティブな風に吹かれて、自分自身を受け止める良いときでした。

神様の必要によって、この世に命を与えられたわたしたち。神様に選ばれて主イエス・キリストの愛を受け止め、キリストと一緒に生きて行く者とされているわたしたち。
わたしたちの罪、背き、過ち、すべての弱さをご存知の上で、神様はわたしたちをキリストと共に一生を生きて者として選ばれている。

今回の黙想でわたしも神様から、じっと見つめられ選ばれ、用いられているとの思いを確かめたとき、安心するものを感じました。

参加者が心に充たされた何かをもって帰って行く姿が印象的でした。

2010年5月号

 『神は霊であるから、礼拝する者も霊とまことをもって礼拝すべきである。』ヨハネ4:24

礼拝をともにする中で様々に気付かされて嬉しくなることがあります。

先日は聖歌を歌っている人がまるで身体の全てを用いて賛美の歌を歌っているかの様に身体が前後左右上下にわずかに動き続け、祈るように歌っておられました。
わたしはその姿に励まされ、霊的に強められ、一緒に礼拝することができました。

また聖書の御言葉を聞く際の耳を澄ませる姿。身体全体が耳であるかのように、確りと目を向けて説教を聞く姿。

礼拝の始まるかなり前から祭壇横の椅子に座り黙想している司式者の姿。ひざまずいて、あるいは座って静かに祈り、礼拝の備えをしている人々の姿。

これらの姿に出会い、わたしはそこに「霊とまこと」をもって礼拝する人々の姿を見る思いがいたしました。

かつて他の教派から聖公会に移って来られた方が言われた言葉を思い起こします。
聖公会では礼拝堂に入る際に会釈して入り、祭壇の前でも会釈し、礼拝堂を聖堂と呼ぶ人がいる程に聖なるところを大切にしている。
聖なるところで、聖なるかたを前にして祈る姿は聖公会の良さと思いました、と言われた言葉です。

その言葉をわたしは嬉しく聞きました。

礼拝は聖なる神様に向かってわたしたち人間のする業であります。
しかし時として神様に向かうことを忘れてしまい、仕事をこなすかの様に礼拝を行なってしまうことがあります。
自戒の念を込めて記しているのですがそのような時に心に響く人々との出会いは主イエスのみ言葉に立ち帰らせてもらえます。
「礼拝する者は霊とまことをもって礼拝すべきである。」

2010年4月号

「宣教・伝道の力」 ミッション・スピリット

「二人は『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。』と語り合った。そして時を移さず出発して・・・」
(ルカ福音書24章32−)

この聖句は、イエスの二人の弟子が自分の村エマオに帰る道すがら、復活したイエスに出会った出来事でした。前とは違った姿で復活して二人の弟子に近づいたイエスでしたので弟子たちはその人をイエスと認めることが出来ません。しかし、イエスと話し合い、聖書の説明を聞いている時に心が燃える体験をします。そして、食事を共にしてイエスがパンを手に取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂く姿を目にした時に、二人は、イエスが今、ここに、居られると実感いたします。

み言葉と聖餐の礼拝を通しての主イエスとの出会いの記録です。わたしたちは聖餐式を行う度に、イエスの実在を願い、この出来事を思い起して次の様に唱えます。
『主イエス・キリストよ、おいでください。』『弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現わされたように、わたしたちにもお臨みください』

イエスに出会った二人の弟子は夜であるにも拘わらずジットしては居られずに11km程離れた山道を急ぎエルサレムにいる仲間に伝えに行きます。

復活したイエスに出会ったパウロの劇的な変化と行動をも思い起します。また復活したイエスに初めて出会ったマグダラのマリアの行動も同じように思い起こします。
喜びを誰かに伝えずにはおれないと思う程のイエスとの出会い。

神との出会いはその様なものであるとペテロも伝えます。「あなたがたはキリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」
この喜びがあるので今困難な状況の中にあってもイエス・キリストを信じ続ける力が与えられているのでしょう。一昨年ランベス会議において出会ったパキスタン聖公会(イスラム教圏)の仲間たちの顔が思い浮かびます。
イエスとの出会い。その喜び。ネヘミヤの言葉に納得できます。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(8:10)

ミッション・スピリット(宣教の力)の源をここに見ることができます。
九州教区の初代宣教師、伝道師の激しい程の働きはイエスを信じる喜びが大きかったからではないのか。
わたしが教区主教に按手され、就任してから十年が過ぎました。
九州教区の宣教局ではこの機会に宣教・伝道の力を再び意識して歩んで行こうと願い教区大会の開催を準備しました。

講師として大韓聖公会前ソウル教区主教朴耕造師にお願いしました。同主教は韓国社会の底辺に生きる人々と関わり、その人々の困難な人生とできるだけ共にいる(分ち合う)ことをされました。それを通じてイエスを証しし、イエスと共に生きる機会が与えられて教会が活き活きとなる経験をしてきました。

その働きの前提として朴主教は「何よりもイエスとの出会いが土台です。」と言われ、今回の講演の中で「分ち合いの働き」の紹介とその土台を確かめる霊性訓練の紹介をも準備してくださっているとのことです。
また、現在、北九州地域においてホームレス支援機構の組織を立上げ、ホームレスの人々に自立して生きていけるように支援活動をしている奥田知志牧師からも話しを伺う準備をしています。

2010年3月号

  毎主日、主教巡回で九州の各教会を訪ねることはわたしにとっての喜びです。
教会の牧師とは違い、何時も教会の人々のそばにいることは出来ない。
それは少し残念なことですが、その分、会えない教会の皆さんを毎朝の祈りの中で、黙想の中で思い浮かべる時に出会っているような安心感を覚えます。
わたしの東京にいる子どもたちを思い浮かべて祈る時にも同じ思いになります。

しかし会える時は、心が弾みます。前の日からウキウキしている自分を感じます。年に一度か二度の会える機会は、正月に家族が会う時のような 喜びです。

喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣く機会が与えられる時には、新たに出会える充実感があります。

先日の堅信式では当事者の喜びと緊張に触れただけではありません。これまでに見守り、祈って今日を迎えられた両親の喜びと緊張、涙している感慨無量な姿に、わたしの心も動きました。

友人の堅信式に教父母として傍らに立ち、ひざまずく友人の肩に手を置き、聖霊が注がれる時を共にしている。その人の感動にも触れることができました。

洗礼を受けたわたしたちは神の家族として生きるものです。
神の家族の交わりの中に永遠の命にあずかる恵があるとわたしたちは信じているものです。
「これによって洗われるこの人(びと)に聖霊を降し、すべての罪を赦し清めて新たに生まれさせ、キリストの死と復活のさまに等しくし、神の家族である教会に迎え入れ、キリストに満ちみちている永遠の命にあずからせてください。」(祈祷書279頁以降)

神の家族の中で、これからも喜び、悲しみ共にしながら、永遠の命にあずかる信仰を共に歩んで行きたいと願います。

2010年2月号

 先日、教会の仲間が人生マラソンを走り終え天国にゴールインされました。ゴールイン4日前に洗礼を受けられた彼はしきりに十字架を求め、またクリスマス・ツリーをも求めたそうです。
ゴールインする際のラストスパートにイエス・キリストを身近に感じたかったのでしょうか。キリストを手で触って確かめ、目で見て確認したかったのでしょうか。

求めを聞いた友人たちは探し回って用意したそうです。

十字架を握りしめて辛い時を耐えたもう一人の仲間を思い出します。

その人は難病で入院していました。当時、病室に子どもが入ることは許されていません。そこで夫は小学校低学年の娘を4階の病室から見下ろすことのできる場所に毎週連れて来られたそうです。

会いに来てくれた娘と夫を窓から見ることができて嬉しかったそうです。でも抱きしめたい娘を、4階から見つめるしかできない。
辛くて、辛くて、ただこの十字架を握りしめていたのですと見せてくださいました。
十字架は金属製でしたが少し変形していました。辛い時に握りしめていたので曲がってしまいましたと十字架をわたしの手に乗せてくださいました。

金属製の角ばっている十字架ですので握りしめて痛かったかもしれません。
曲がった十字架を両手で押さえながらその方の辛さを少し実感しながら、二人でお祈りいたしました。
「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩篇23編4節より)

   イギリス土産に握りしめ易い小ぶりの木の十字架があります。
握りしめるために作られた十字架ですのでしばらく握っていたくなるものです。
母が用いていたその十字架を居間の見えるところに置いてありますので、わたしはそれを手にする時、母と共にいてくださるイエスを思い巡らします。

2010年1月号

 新しい一年が始まりました。今年の主日礼拝ではルカによる福音書を中心に主イエスの救いの働きを思い巡らします。

ルカによる福音書にはルカのみに記載されている良く知られたたとえ話があります。
永遠の命を受け継ぐための説明としてイエスは「善いサマリア人のたとえ」を語られました。
また見失った羊が帰ってきた喜び、無くした銀貨が見つかった喜びを述べつつ、自分を見失い、死んでいたような息子が父親を思い起して帰ってくる放蕩息子のたとえが記されています。

レンブラントの絵画「放蕩息子の帰還」を覧て、霊的に深い洞察を得たヘンリー・J・ M・ナウエンが著した本は特別にわたしの心に残る本です。

幾たびルカによる福音書を読んできたことか。しかし慣れ親しんでいるはずのイエスの言葉と行ないを再び読む時に、慣れることなく新鮮に聞くことができることは不思議です。
わたしたち個人の状況、社会、世界の状況が変化するが故に、でしょうか。

降臨節第一主日の福音書はわたしたちの立っている基盤が根底から取り去られる不安が記されています。
「太陽と月と星に徴が現われる。地上では海がどよめき荒れ狂うので・・・・世界に何が起こるのかとおびえ・・・
天体が揺り動かされるであろう。」

核兵器を脅かしの道具として扱う国々があることに不安を覚えます。
オバマ大統領が核兵器の無い世界をと宣言する程に、カンタベリー大主教が核兵器廃絶の小さな行動でも証しとなると云われる程に、わたしたちの生きる基盤が根底から崩される不安な状況があります。
この状況の中で、上記の聖句は迫って来ます。

  この一年も礼拝を通じて、主イエスと共に歩むことができますように。

 

 


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