教区報「はばたく」に掲載のコラム

2005年12月号

師走に入って、クリスマスカードのほかに、年賀状作成に励んでおられる方も多いことだろう。来年の干支は「戌」。人類最初の家畜であり、ペットとして猫と双璧をなす犬だが、聖書ではすべて悪い意味にしか使われていない。聖書の民は遊牧民だが、牧羊犬を使わず、羊飼い自ら、先頭に立って羊を導くようだ。ギデオンが選抜試験で落としたのは「犬のように舌で水をなめる者」であり、ダビデが石投げを構えた時、ゴリアトは、「わたしは犬か。」と呆れている。ただ、自分を子犬にたとえた謙遜なカナンの女の信仰をイエス様はほめておられる。でも、それを年頭の挨拶にするのも味気ない。十二年前は、続編トビト記六章二節「そこで息子トビアは天使と共に出発した。トビアの犬も出て来て彼らについて行った。」を使った。その犬は、彼らと最後まで一緒に旅をしたようだ。戌年の私も来年は、久しぶりにイスラエルへ旅してみようか。(小林)

2005年11月号

教会暦では、今月が最後の月。逝去者のことを記念する時だ。ヨハネ十四・二「わたしの父の家には住む所がたくさんある。」の聖句に慰められ、勇気づけられている。イエス様はこれを伝えるためにこの世に来られたのだ。▼死は旅に譬えられる。初めて聖地旅行へ行く直前、イスラエルでユダヤ人とパレスチナ人の衝突があり、死者が出て、急に不安になった。しかし聖地に一年間住んでいた友人が電話をくれた。「危ないところにはガイドさんは連れて行かない。安心して聖地を楽しんで来い。」向こうに住んでいた人の言葉には説得力がある。▼歴史教科書では、イエス様は人間のひとり。でもそれでは、いくら立派なことを言っても「講釈師、見てきたような嘘を言い」である。神様の所から、死におびえる人間のために遣わされた神の子だ、と信じられた時、イエス様は、単なる人間ではなく、私たちの救い主であるキリストになる。(小林)

2005年10月号

八月七日、アメリカABCのニュースキャスター、ピーター・ジェニングス氏が肺がんのため死亡した。同時多発テロで、報復に染まった国の中にあって、「アメリカがテロの対象となる原因を考えてみるべきだ。」と発言し、保守派から「愛国的ではない」「忠誠心に欠ける」などと批判されたが、「私の愛国心は、質の高い、公平で誠実なジャーナリズム」と反論。視聴率が下がっても、態度は一貫。批判され、視聴率が下がっても、その姿勢を変えなかった理由を聞かれ、「報道には、見張りの役割がある。」と語った。これと対極をなすFOXテレビは、視聴者の喜ぶアメリカ寄りのニュースを流し、視聴率を稼いだ。「サタン、引き下がれ。神のことを思わず、人のことを思っている」とイエス様から叱られそうなFOX。公平とは、高い所から、自分を客観的に見ること。自分の心を神様のおられる高い所に置く「祈り」の姿勢と同じである。(小林)

2005年9月号

 夏休みに入って、一日一善ではないが、「一日一話」と計画して、春のワークキャンプで買って来た、「フィリピンの神話と伝説」を訳しはじめた。四百年前スペインの統治が始まって以来、独自の神話や伝説が急速に姿を消し、西洋のおとぎ話が取って代わってしまったことに危機感を抱いた編集者が、三十の話をまとめた。 外国の占領前にあった豊かな文化遺産を、次の世代に伝え、フィリピンの文化に誇りを持ってもらうことが目的、とのこと。私の翻訳は辞書を引きながらの遅々としたペースだが、うまくいけば九月には少しずつホームページに公開したい。今月はフィリピンからダグソン執事も来るので、わかりにくい所を質問しよう。そして、来年のワークキャンプには、そのうちの一つを人形劇か、紙芝居にして、逆にフィリピンで紹介できたら、などと夢が膨らんでいる。(ここまで書いたら、三日坊主では済ませられなくなるだろう。) 小林


2005年8月号

 今から十五年前、一九九○年の夏、二ヶ月イスラエルで研修を受けたことがある。八月一日夜、エルサレムに着いたが、翌日、イラクがクウェートに侵攻した。湾岸戦争の原因が起こったのである。アラブ諸国の批判をかわすため、イラクはイスラエルを攻めるだろう、との噂が流れた。八週間の研修だったが、三週目に大学側も学生を集めて@親元へ元気であることを連絡すること。Aミサイルが飛んできたらサイレンを鳴らすので地下のシェルターへ逃げるように。などの指示をした紙が配られた。「ヨルダンが侵攻されたらエジプトへ逃げましょう。」と日本からの留学生が言い出す。研修を終えて九月二十七日、オランダに着いた時、やっと平和な国に来たことに安堵したが、知り合った人達が翌年の湾岸戦争中もイスラエルに住んでいることを思うと、いかに地球が危険の中にあるか思い知らされた。非戦・平和を願う、夏の思い出である。(小林)


2005年7月号

 教会の前を通りかかる人が、気楽に中へ入れるように、庭の工事を始めた。隣との境界線のことがきっかけで、見解の相違から裁判沙汰になりかけた。専門家が「この裁判は勝てる」と言うが気が進まない。ふと思い出したのが、こどもさんびか「イサクのおじさん」。2節で「イサクのおじさん井戸をほる。ようやく水がでてくると、ゆずってにこにこよそへいく」と歌う。創世記二十六章の物語だ。隣人愛を説く聖書が、他人と争うことなど奨めるはずもない。顧問弁護士に相談したら、「教会が隣と争ってはいけませんな。」と第一声。一コリント六章には、信徒同士の争いを信徒ではない人の法廷に持ち込むことを戒める言葉が書かれている。「そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです」(七節)。裁判の相手が信徒でない場合や刑事事件等、一律には言えないが、教会は争いではなく和解を目指すべきだろう。(小林)


2005年6月号

 新しいローマ法王(カトリックでの正式名称は教皇)には、事前の大方の予想通り枢機卿団長であるドイツ人ラツィンガー師がベネディクト十六世に就任した。数年前、次の教皇の時代には、女性聖職、司祭の妻帯、人工妊娠中絶などが認められるだろうという話を聞いていたが、全く逆に保守的な体制になった。これは世界の風潮なのだろうか。イスラムも、アメリカのキリスト教原理主義も、自分の正統性ばかりを主張し、異なる立場の人々を許容しない姿勢が目立つ。聖公会の首座主教会議も、同性愛者を主教に選んだアメリカや、同性同士の結婚を認めたカナダに、自主的に交わりから遠慮するようにという、おかしな圧力をかけている。「すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるのでしょう。」と少数者を尊重するキリストの体としての教会を説明したパウロの言葉(Tコリント十二章)を読み直してもらいたい。(小林)


2005年5月号

  この原稿が読者の目に触れるのは「こどもの日」のあるゴールデンウィークの頃だろうか。三月初めにフィリピンへ行き、ワークのあいまに小学校などで子どもたちと凧揚げや折り紙を楽しんできたが、日本に帰ってきた直後に、フィリピンの子どもたちがキャッサバの菓子で食中毒を起こして大勢が亡くなったニュースを聞いた。私たちが訪ねた村から六百キロも離れたところだが、単なる外国の出来事とは思えない身近なものを感じた。二十二年前、初めてフィリピンで過ごした三週間に、ニノイ・アキノ上院議員がマニラ空港で暗殺された。二年半後の革命を、テレビにかじりついて見た覚えがある。離れた異国の人々と触れ合う体験を通して、私たちの感性が養われる。そして、見知らぬ土地の人々の痛みにも共感できる人間になることが、イエス様の隣人愛の教えのように思える。(小林)


2005年4月号

 「手に取るな。やはり野に置け蓮華草」これは、江戸時代播磨の国(現在の兵庫県)の俳人滝野瓢水の詠んだ句。環境保護を詠ったかのようだが、実際は、遊女を身請けしようとした友人を止めて、野の花は山野で咲いてこそ美しく眺められるもので、家の中に移しては、その美しさも失われてしまう、ということらしい。昔、この句を例に挙げ、身の処し方を語った聖職が居た。教区の端の小さな町で牧会している彼に、中央の大きな教会で、もっと才能を発揮してほしい、と言う主教に、「野に置け蓮華草、ということもありますから」と断ったそうだ。名もなく、ひっそりと生きる方を選んだわけだ。宣教が振るわない今日、自分の前にラッパを吹き鳴らす(マタイ6・2)ことも、ある意味では必要かもしれないが、世間の評判を気にして、神様からの報いを忘れる誘惑はないだろうか。(小林)


2005年3月号

 今年も三月一日から八日、フィリピン中央教区でペンキ塗りを中心としたワークキャンプに出かけることになった。今年は七人だが、私を含めて四人は二年連続。世話になった人々と、再会するのを楽しみにしている。昨年は、私たちがペンキ塗りをしていると、子ども達が話しかけてきた。日本では、最近こんなに元気な大勢の子を見たことがない。子どもだけでなく、青年たちにも熱気を感じる。経済的な問題なんか抜きにして、この国の将来は明るいんじゃないか、と思えてくる。このキャンプを通して、この楽天的明るさを学べたら大変な収穫になるのではないか。マタイが表現を和らげてしまった、「心の貧しさ」ではなく、イエス様が直接人々に語った「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカ6・20)を実感することが、今、一番私たちに必要だろう。(小林)


2005年2月号

  祈りとは、「自分の心を神様のおられる高い所に持ち上げること」、またある神学者によると「大きく考えること」だと言う。それは、自分の住んでいる所を、空から眺めるようなものではないか。東京出張の帰り、飛行機から地上が見えた。高校時代まで過ごした故郷福山。当時は、そこが私の唯一の世界だった。それから30分程で阿蘇をかすめて、黎明教会のある恵楓園が現れ、最後は熊本県庁の近くにある教会まで。今まで別世界のように考えていた各地が、実はつながっていて、夫々の地に、自分同様大切な人の生活があることを思った。十戒を授かったモーセも、山上の説教や変容のイエス様も山の上で似た経験をしたのではないか。外に視点を置いて、わがままな人間を見直し、「神様もこんな風に見ているのでは。」と眺めると、御心が分かるような気がする。それが祈りなのではないか。(小林)


2005年1月号

 今年も年賀状に干支と関係のある聖句を取り入れてやろうと、酉ならぬ鶏の字をコンピュータで検索した。新約では、ペトロが裏切った時に鳴いたものが十二回登場。人間が神様に背く罪を問いただす「警鐘」。十二年前は「鶏鐘」とプリントゴッコで印刷した。しかし、福音書以外には新約からは見つけられなかった。旧約続編にもなくて、旧約で唯一出てきたのは、ヨブ記三八・三六「誰が雉に知恵を授け誰が雄鶏に分別を与えたのか。」不幸が続き、しかも自分には思い当たる罪がないことを訴えたヨブに、神様が応えた言葉の一節。神様によって創られたひとつひとつには、人間の想像をはるかに超えた知恵と配慮がある、ということだろう。自然破壊が進む現代。自分で作ることもできないものを人間が勝手に壊して いいはずがない。酉年の今年、「鶏鐘」を真剣に受け止めたい。(小林)

2004年の荒野の声
2003年の荒野の声
2002年の荒野の声
2001年の荒野の声

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