教区報「はばたく」に掲載のコラム
2008年バックナンバー

2008年12月号

 狂言師の野村萬斎さんが次のようなことを言っています。     
「狂言の演技で動作を静止している状態があり、息を止めその姿勢で留まっています。からだ全体に緊張を必要とする瞬間です。緊張を解き次の動作に移るとき、息が体の中に入ってきます。自分のからだが大きく開かれていくような感覚をおぼえ、演技が生き生きとして豊かなものになります」と。

「じっとしている」「何もしていない」状態はマイナスのイメージをわたしたちに与えています。そうではないと野村萬斎さんは語ります。

カンセリングや電話相談で沈黙が続くときがあります。堪えられないときです。しかし、沈黙の後のことばは、物事の解決への新しい光となることが多くあります。

キリスト教には「祈り」「黙想」という素晴らしい伝統があります。今、教会は多くの問題を抱えています。
「祈祷会」「黙想会」をもう一度考え直すときかもしれません 。(濱生)

2008年11月号

 ホフマン・ハントが「世の光」という不思議な絵を描いています。イエスがカンテラを片手に持ち、片手でドアをノックしている絵です。ドアには蔦が生茂り、開けた形跡がありません。そして、取っ手がないのです。イエスが持ってきた「光」=「救い」は中から開けなければ、自分のものにはならないという絵です。

最近、教会で議論が起こりました。「イエスがノックをするまで待つことが大切だ」とする主張と「ドアを開けなければ何も起こらない」とする主張の対立によるものでした。「救いには努力はいらない」という考えと「祈りだけでいいのか」という考えです。

「卒啄同時」という仏教用語があります。卵から雛がかえるとき、雛が中から殻を突き、親鳥が外から突いて殻を破らなければ雛は誕生しないそうです。それも同時でなければならなく、どちらかが早くても新しい命は誕生しません。イエス(神)と私たちの関係も同じものだと思います 。(濱生)

2008年10月号

 イエスは「神とは」「神の国とは」を譬え話で語ってくれました。その中に「放蕩息子の譬え」という有名なお話があります。一人の息子がいました。彼は父親から財産を貰い、親の元を離れます。放蕩のあげく、全財産を失います。
父親のところに帰ればと、父親の元に戻ります。すると父親は息子の姿を見て、走りより大喜びをするのです。イエスは「神とはこの父親のようなものです」と言います。

イエスが十字架に架けられ、殺される時、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、命を奪おうとしている人たちのために祈ります。神の本質は、何の条件も無しに赦し、受容される方であります。
ドイツの神学者パウル・ティリッヒは「キリスト教の信仰は受容の受容である」と言っています。キリスト教の基本は、「私が、神からありのままの姿で受容されていることを、私が受容する」ことなのです。(濱生)

2008年9月号

 NHKの番組で、タンザニアのンゴロンゴロ自然保護区が紹介されていました。広大な噴火口の跡のクレーターで、高い山々に囲まれ盆地になっています。その大きさは阿蘇外輪内と同じぐらいのものです。その盆地に推計二万五千頭のさまざまな野生動物が生息し、遊牧民のマサイも生活していました。人間と自然の共生が見られ、野生動物も共生し調和よく暮らしている様子が放映されていました。
すべての生き物は互いに支え合い、助け合って生きていくように創造されているようです。しかし、人間の社会では、共生ができていないのが現実です。自己中心の生き方が、独立心旺盛で素晴らしかのようにされているからです。
聖書には「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とあります。(ロマ一二・十五)

  最近、近くのお寺の案内板に「悲しみは人に語りて半減し、喜びは人に語りて倍増する」と書かれているのに出会いました。名文です 。(濱生)

2008年8月号

 マラリアの特効薬キニーネの採れるキナは、マラリアの蔓延する地域にしか存在しません。風土病にはその地に特効薬が存在し、毒があるところにはその地域に解毒剤があるとされています。
アマゾン川流域にクラーレという毒を用いて狩をする少数民族がいます。永年この毒を解毒する物質を見つけることができませんでした。最近それが発見されました。カルバル豆です。このカルバル豆はアフリカ西岸のナイジェリアにしかありません。地図を見ますと、ナイジェリアのギニア湾とブラジル東側は地形がぴたりと合います。
京都薬科大学の岡部進教授は「大陸が移動する前、猛毒のクラーレがあるところに解毒剤のカルバル豆が存在していた」と語っています。
これは神さまの「創造の配慮」であると思います。神さまは毒を創造し、同時に、それを解毒する物をちゃんと用意してくださっておられたのです。神に感謝。(濱生)

2008年7月号

マザー・テレサは新聞記者から「貧しさは世界からいつなくなるでしょう」と質問され、「分かち合うことが行なわれるとき」と答えています。
ナチスに抵抗し強制収容所に入れられ、終戦直前に処刑された牧師のボンフェファーは「少ないパンをみんなで分かち合っているときみんなは満足していた。しかし、一人の人が自分のパンを自分のものだと言い出したとき飢えが始まった」といっています。
同じ立場に立って、共に生きることは言葉では簡単ですが、実際には難しいことです。私たちができることは相手の思いや気持ちを聴き、自分だけの思いで物事を進めていかないことです。人間は本来聴くことをもって生きていくように創造されています。ギリシャの哲学者が「人間は口が一つ、耳が二つ与えられている。先ず聴き、次に語るように神さまから創られたからだ」といっています。現代はこの順序が逆になっているようです。(濱生)

2008年6月号

先日、管区の人権担当者協議会が群馬県の草津で開かれ、二日目はフィールドワークで栗生楽泉園と聖バルナバ・ミッションをまわりました。
ハンセン病者への奉仕の生涯を送ったコンウォール・リー女史の足跡に触れ、深い感動を覚えました。女史が病者のために働き出したのは五九才の時で、草津湯之沢の生活は二〇年間ほどでした。その期間に教会、幼稚園、女子ホーム、男子ホーム、夫婦ホーム、小学校、病院と数え切れないほどの施設を建設しています。その活動力には圧倒されます。その宣教する力の源は一体何だったのでしょう。
女史は「私が草津について本を書くとしたら『喜びの地』という題にするつもりです」と語っています。主に捕らえられ、赦され、認められ、派遣され、よしとされた「喜び」は、人が生きていくとき(宣教)の大きな力になります。
来年は九州教区宣教一五〇年を迎えます。宣教の原点を問い直す時かもしれません。(濱生)

2008年5月号

年をとり娘夫婦の所に引き取られ、一緒に生活を送っている内に、娘夫婦の生き方に触れ、「私もあなたたちの信じているキリスト教を信じたい」と信仰に入った一老女。
その老女が病床聖餐の折、
席を立とうとしたとき、娘さんが「先生に何か聞きたいことがあるのでは」と語ると、真剣な顔をして「私は耳が遠くて教会の皆さまのお話も、先生の説教も聴けません。それ故にキリスト教についてほとんど理解できていません。その私が神さまの所にいくことができるのでしょうか」と尋ねました。
「大丈夫です」と答えますと。両手を挙げて、踊るように左右に手を振り、喜び、手を合わせて「神さまありがとうございます」と祈りました。
理解できなければ、信じることができないと思い込んでいる私たちです。理窟や論理では神さまを信ずることはできません。神さまを「信頼」し、すべてをゆだねるとき信じることができるのです。(濱生)

2008年4月号

 牛島幹夫司祭が入院し、短い期間ですが、私が厳原聖ヨハネ教会の管理牧師に任命されました。先日対馬に行き、礼拝堂に入り、いちばん最初に目に付いたのはその月の当番表でした。み言葉の礼拝の司会者・勧話者・聖書朗読者の名前が書かれていました。
礼拝後、み言葉の礼拝の学びを行ない、報告、紹介が終わると全員が立ち上がり、から雑巾を手に掃除が始まりました(毎週行なわれているとのこと)。当日、全く初めての青年が礼拝に出席されておられましたが、彼も一員のように居場所が与えられ手を動かしていました。牛島司祭と教会を、みんなで支えていこうという思いが伝わり、生き生きとした姿に接して、心が清められ帰福してきました。
ある牧師の言葉「教会の主要な問題の一つは、ほとんどのクリスチャンが賜物を用いていないことです。ごくわずかの人が教会のすべての働きをしていて、そのために彼らは疲れ切っているのです」(濱生)

2008年3月号

福岡聖パウロ教会は、宣教の一環として「アルファ」を取り入れています。キリスト教に興味はあるが、教会には行く勇気がなかった、という人も気軽に参加できる会です。        
この会には幾つかの約束事があります。一つは、「百二十%のもてなしをすること」です。会は食事から始まります。担当者は腕を振るって最高の料理を作っています。
次は、「食事の席で司会者は、参加者の心を開かせるためにジョークを語ること」です。日本人には少々難しいのですが、苦心して語っています。
次が一番難問です。「リーダーはなるべく喋らないこと」です。参加者全員が語れるようにすることが、リーダーの役割である、としています。お互いが、聴き、語ることの大切さを学ばされています。
私たちの教会は、宣教すると言って「語ること」を第一にしてきました。今、大切にしなければならないことは、「聴く」ことなのかも知れません。「聴く教会」とは。(濱生)

2008年2月号

エレミヤ書三一章は、イスラエルの残りの者が解放され、喜んで帰還する様子が描かれています。私たちは、残りの者とは捕囚の中で、業績を上げてきた人たちと考えます。しかし帰還する者のリストには、弱くて保護を必要としている者たちしかありません。救いの喜びは、神の慰めと守護を必要とする者たちに与えられるようです。
カトリックの本田哲郎神父は、「神は小さくされた者の側に立っておられる」と言い、釜ケ崎の日雇い労働者との連帯の中で、神に出会い、発言をされておられます。
今、私たちの教会は、何もしていないのではなく、真剣にやれることをしています。しかし、結果は衰退しています。何が問題なのでしょう。  
神が立っておられる所から遠くはなれ、そこからの発言や行動では、神の意志を周りの人々に伝えても空回りするだけです。同じ場所に立つことはできません、しかし連帯することはできます。(濱生)

2008年1月号

対馬に来て八年目。観光物産協会のガイドとして少人数の観光客を案内することが時折ある。私が担当しているのは二時間弱のミニコース。毎回楽しい出会いをいただき感謝が多い。もちろんミニコースとはいえガイドとお客様の関係。この出会いを最初で最後のものとして緊張感を持ってのぞんでいる。
ガイドをして感じるのは初めて出会うお客様から学ばせてもらえる事が非常に多いということだ。対馬のようなところへ少人数で来るのは旅慣れた方が多く、こちらで無理に演出しなくても用意されたコースを自分の切り口で皆様自由に楽しんでおられる。大抵の場合、わたしはその傍らで「それは初めて知りました!」と驚きの相鎚を打っているだけでガイドの短い時間が終わっていく。
さて、ガイドをする時によく聞かれるのが私の本業。牧師だと応えると、様々な反応をいただく。この出会いがどこかで宣教の助けになることを願う。(牛島


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