教区報「はばたく」に掲載のコラム

2007年12月号 

 師走の声を聞くと世の中が忙しくなる。行きかう人もせかせかと何かと日頃の歩きと違ってくる。車も押せ押せと怒鳴るように渋滞状態が続く。年末セールを煽る商店街のジングルベルも年々早くなっているような気がする。
 街並木のイルミネーションが昼間のように街路を照らし、クリスマスケーキや新年の晴れ着の予約の張り紙が目に付くようになり、お歳暮を配る運送屋の車が走り始める。そして、「年末だ」「今年の総決算だ」と騒がしくなり、一年の帳尻を合わせる新聞記事が目立つようになる。
 そういう世の中の騒乱の中にいると、教会の暦が降臨節第一主日から始まることを忘れがちである。私たちにとって12月は、帳尻を合わせる月ではなく、出発の月である。主の降誕を迎える万全の準備をなし、降誕日に「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2・15)と高らかに賛美できるようにしたいものである。  (壹岐)

2007年11月号 

 水原公立国民学校(現在の韓国・スオン)の同窓会の案内状が届いた。以前は数年おきに開催されていたものが、最近残り少ない時間を惜しむかのように毎年開かれている。関東にいる同級生から、先輩が次々と役員を辞退して、お鉢が廻ってきた。今回が最後になるかも知れないので、どうか出席して欲しいというメールも届いた。考えてみると、年々顔馴染みの先輩が姿を消している。終戦当時、私達は小学三年生で当時を知る者としては最後の組。七十一歳という自分の年齢を考えれば、当然と言えば当然だが、戦争を体験し、全てを放棄し、外地から命からがら日本へ引き上げてきた人も本当に少なくなってきた。
最近の世の中の流れには怪しげなムードがある。戦争を放棄した日本こそ、この平和にある幸せを世界中に知らせる立場ではないか。驕る者や戦争を知らない群れに対して、私達は「神の武具を身に着け、信仰を盾」(エフェソ6・13)として闘わなければならない。(壹岐)

2007年10月号 

この夏、カンボジアへ行った。第一の目的はピースフル・チルドレン・ホーム(プノンペンとバッタンバン)の子ども達を支援するためであるが、お隣のタイも訪問して、貧しいカンボジアと豊かなタイを比較しながら、「貧しさ」とは何かを考える旅でもある。したがって国境越えは毎回陸路をとっている。
バッタンバンからほど近い国境の町ポイペトは、カジノとホテルが数軒あるだけで、薄汚い家屋が建ち並び、通りは土埃が舞い、麻薬、売春、賭博で人が集まる。まるで西部劇の町。出国審査は炎天下、小屋のような建物の前に一列に並び、窓口でパスポートを渡し審査を受け、国境へ向かう。私達の荷物を運んだポーターは十歳位の少年であった。国境に架かる橋を渡ると、タイの国。入国審査は冷房の効いた清潔な建物で行われ、外へ出ると花壇に花が咲き乱れていた。この旅は私に、「貧しい人々は幸いである」(ルカ・6・20)という言葉を問いかけた旅でもあった。(壹岐) 

2007年9月号 

 妻が新聞を読んでいる夫になにやら話しかけると、夫は「ふん、ふん」と合槌を打ちながら新聞に夢中。「あなた、聞いてるの」と妻は腹を立てる。コマーシャルの一場面ではないが、身に覚えのある方もおられるに違いない。
 信仰生活が長くなると、説教もつい「ふん、ふん」と聞き流す危険性があるのではないか。「ヤッホー」という言葉は、「ヤハウェYHWH」が訛ったものだという説があるが、山に登ると「ヤッホー」と向いの山に向って大声をかけたくなる。そして今叫んだ言葉が確かに戻ってくるかと、耳を澄ます。そのような真摯な姿勢が必要ではないか。
 イエスは「私の羊は私の声を聞き分ける。」(ヨハネ10・27)と言われた。イエスに従う羊たちは、羊飼いの声を聞き分けるが、イエスを信じない人たちは、羊飼いの声を聞き分けることが出来ない。「声を聞く」「聞き分ける」私たちは、それができることを喜びたいと思う。(壹岐)

2007年8月号
 

 悪ガキ三人が旅をした。ある山奥の温泉(個室の露天風呂)で、首まで浸かりながら、「極楽、極楽」を連発、携帯も届かぬ静寂の世界を堪能した。
 昼時、街へ降りて当てもなく小さな路地を散策していると、立派なお寺に遭遇した。山門の傍らの掲示板に高僧の言葉であろう文章が書かれていた。三人がそれを殆ど同時に声を出して読んだ。「比較しなければ、楽になる」言いえて妙。薀蓄(うんちく)のある言葉であるが、さてこれをどう理解するかで三人はそれぞれ自論を主張した。と一人が別な言葉を知っていると言った。「比較すると、どちらかが不幸になる」確かに私たちは、何事にも自己と他者を比較しがちである。そして一喜一憂しているが、比較がないと気に病むこともない。
 パウロは言っている「彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。」(コリU10・12)悪ガキ三人は、浮世を離れた旅の空で、己の愚かさを改めて気付かされた。(壹岐)

2007年7月号

 先日、韓国プサン市へ行ってきた。国際ワイズメンズクラブ福岡中央クラブとプサントンネクラブとの交流の一環である。
 日曜日、ホームステイ先の会長ご夫婦の所属する長老派のスワン教会に出席した。信徒数約千人、今年百周年を迎える教会で、日曜日は三回、水曜日は二回、金曜日は一回の礼拝がある。会衆はざっと四百人とみた。聖歌隊は約五十人、素晴らしい声であった。オルガンとピアノが使い分けられていた。献金はバイオリン演奏で捧げられた。式次第や祈り、賛美歌の歌詞は、正面の大型スクリーンで表示され、聖書朗読や祈りは、韓国語で理解できなかったが、私は賛美歌(うろ覚えの部分)と主の祈り、使徒信経を日本語で歌い、唱えた。しかし、不思議と違和感がなかった。熱い説教者の声と会衆の賛美の声に「一同は聖霊に満たされ、”霊“が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使2・4)を感じた私達夫婦の「聖霊降臨日」の礼拝であった。(壹岐)


2007年6月号

 BSA福岡支部企画「キリシタン遺跡巡り」が今回の15回で幕を閉じた。1990年に福岡教会宣教100年記念事業として、A・B・ハッチンソン司祭の墓参ツアーを企画したことが端緒で、足掛け一八年、いつの間にか回を重ねていた。この旅は、「キリシタンの信仰と彼らが残したもの」を探る旅であったが、その地方の背景にある文化を知るために、いわゆる多くの観光地も訪れた。天草、五島、生月、外海、津和野、平戸、大村、プサンなどで素晴らしい景観に魅了されたが、その裏には、拷問に耐えた人々と転びの人々の悲しい物語が残されていた。そして、殉教地を訪れる度に、神様は私達に歴史の事実を通して、この二つの姿(強い信仰と人間の弱さの両面)を示めされているように感じた。復活のイエスがアナニアに語られた「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(使徒言行録9・16)と言う言葉は、今の私達への問いかけではないだろうか。(壹岐)


2007年5月号

 最近車を運転していて、道が分からなくなり、通りがかりの見知らぬ人に聞くこともなくなった。カーナビに住所や電話番号を入力すれば、ちゃんと誘導してくれるからである。一昔前には考えられなかったことである。ところが、うっかりすると細い路地を右に左にと走らされ、心細くなったころ、目的地が現れホッとすることがある。近道を誘導するようプログラムされていたのだろうが、本通りを真っ直ぐ来れば、何のことはなかったと、目的地に着いてから気付くことがある。

 このようにわたし達は、自分の意思で自分の道を決定することが少なくなったような気がする。誰それがそう言ったから、みんながそうしているから、と他人の意見に従う。そのためにわたし達は昔も今も大きなツケを払わされてきた。教会に招き集められたわたし達の道はすでに決まっているのではないかと思う。「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・6)方を信じているから。(壹岐)

2007年4月号

某月某日付の某朝刊を開くと、国際面ではインド列車テロ事件、米イラン空爆計画、バクダッドの相次ぐテロ事件、そして悲観的なコソボ独立の解説記事が並び、いわゆる社会面では、宮崎・漁船当て逃げ事件、九電工贈収賄事件、筑前いじめ自殺事件、連続ひったくり事件、中学生の傷害・恐喝事件に、飲酒運転の男逮捕、81歳放火容疑者逮捕、郵便物不配の職員懲戒免職などの記事で埋められている。このように連日事件、事件の記事に読む方も憤慨を通り越して呆れてものが言えない。感動する記事に、滅多にお目にかからない昨今である。怖いのはこのような不快な事件に慣れて、無頓着となることである。何が起こっているのか、その原因は何かを注視することを怠るとその付けがいずれ廻ってくる。「体のともし火は目である。」(ルカ11・34)とイエスは言われた。私たちが輝くことによって主の栄光をあらわすことが出来る。そう確信している私たちではないか。(壹岐)

2007年3月号

最近、礼拝中に子どもの声を聞くことも少なくなった。
 子どもは、一時もじっとしていない。しばらくは親の言うことを聞いているが、すぐ退屈して席を立つ。複数の子がいたらどたばたと駆け巡る。説教中にギャーと声がするが、説教者はにやっと一瞥して説教を続けている。そんな風景は遠い昔のことになった。
 本紙「はばたく」が1988年「九州教区信仰継承年」に当たり、数年間信徒の証を連載している。それを改めて読み直してみると、幼児期に教会に行った記憶は、成人して再び教会に招かれる種になっている。幼い頃みんなに世話をやかせた子が現在教会の貴重な働き人となっている。「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」の例えではないが、信仰年数の問題ではない。皆さんに迷惑を掛けるなどと言い訳しないでガキどもを引き連れてくる。そしてみなさんに大いに迷惑をかけることである。それが、数十年後に実を結ぶことになる。(壹岐)

2007年2月号

昨年12月1日の世界エイズデーに、私の所属するボランティアグループが、「エイズ孤児との交わりをとおして」というテーマでシンポジウムを開催した。エイズという重いテーマで、シンポジストが無名の学生、おまけに当日は小雨模様の天気。果たして市民が足を運んでくれるかという不安はあったが、始まってみると120定員の会場は満席。タイ・チェンマイの現状とボランティア活動報告は、生の体験談だけに聴衆の心を打った。
昨年エイズを発病した子の姿が今年なかったという報告に、結局被害を蒙るのは子ども達であるということを思い知らされた。このツアーのテーマは、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ロマ・12・15)であったが、初対面時はおずおずと孤児たちに接した学生たちも、別れは涙、涙であった。彼らは行動でそれを体験した。「私たちは、結局孤児たちに遊んで貰っていました」というのが印象的であった。(壹岐)

2007年1月号

『ウォーカーズ』というテレビドラマがあった。四国八十八ヶ所巡礼の旅で道連れとなった人達には、さまざまな悩みや苦しみ、悲しみがあった。その巡礼は自分探しの旅でもあった。ドラマの副タイトルに「迷子の大人たち」とあったが、子どもを守る大人たちが迷子状態だから、子ども達が迷子になるのは無理もない。テレビや新聞で、どこそこでいじめがあった。それが原因で自殺したなどの報道は日常茶飯事。関係者の弁も「全く知らなかった、出来るだけ対応した、人員不足で」に終始している。また、若い夫婦が自分勝手な理由でわが子を虐待し、殺す事件も頻発している。これらの現象を誇張して言えば、「世の中総迷子」とも言える。原因を分析することも結構だが、このような時こそ私たちは、内にではなく、外に向ってイエスと出会った喜びを大きな声で伝えたい。パウロは言っているではないか。『そうせずにはいられないからです。』と。(壹岐)

2006年の荒野の声
2005年の荒野の声
2004年の荒野の声
2003年の荒野の声
2002年の荒野の声
2001年の荒野の声

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日本聖公会九州教区