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教区報に毎月掲載されるルカ武藤謙一主教のメッセージ
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2016年バックナンバー

2016年12月号

 九州地震から半年余が過ぎました。
これまでの教区の皆さん、また教区外の多くの皆さんのお祈り、献金、奉仕に心から感謝いたします。
すでにご存じのことと思いますが、教区の被災者支援活動のボランティアセンターは、十月からは熊本聖三一教会から熊本市東区御領にお借りした民家に移りました。
また十一月からはボランティア活動は毎週水曜日から土曜日に行うことになりました。
地震から半年が経過して被災地の状況も少しずつ変化しているようですが、今もなお多くの方々が困難な状況に置かれています。
また仮設住宅に引っ越しをされた被災者の方々も新たな困難を抱える方もおられます。
そうしたなかで熊本聖三一ボランティアセンターの活動は、これまで出会ってきた方々との関わりを大切にしながら、誰も孤立させないための活動を継続しています。
つい最近の九州地震被災者支援室会議ではボランティアの登録者が少なく、ボランティア募集のアピールをすることが話し合われました。
九州教区の皆さん、これからもお祈りに覚えてくださると同時に、ボランティアとして被災者支援活動に教区内から一人でも多くの信徒、教役者が関わってくださることを願っています。
この被災者支援活動は九州教区の働きとしてなされているものです。

 教会の暦は降臨節を迎え新しい一年が始まりました。
主イエス・キリストの降誕を祝う備えの時です。
今年の降臨節、わたしたち九州教区では九州地震被災者のこと、また国内外の自然災害被災者のこと、また戦争や紛争によって生きることが困難な方々のことを覚える時といたしませんか。
キリストの平和と喜びが一人ひとりに訪れますようにと祈り、それぞれにできる仕方で奉仕することを通して、主キリストの降誕に備え、ご降誕の喜びを分かち合うことができればと思うのです。

 みなさんがよい降臨節を過ごされ、クリスマスの喜びを分かち合われますようにとお祈りいたします。


2016年11月号

 『うつし世を旅立つときの知らねども 静かに静かに東風(こち)吹く如くに』

 「Yちゃん、すべての事には時があります。そしてとうとうその時が来たようです。泣いてはいけません。あわててはいけません。騒いではいけません。だってこの事はどうすることも出来ない約束ですもの。唯、ハイと申し上げるだけです。そして、静かに、しっかり前進するばかりです。私たちは万全を期して一生懸命歩き続けてきましたから、もう何も心残りはありません。あなたも残りの人生を、あなた自身の信仰のままに力強く、迷うことなく、雄々しく進んでください。いつもよく祈り、よく考えて歩いて行ってください」。

 これは鹿児島復活教会の週報に載せられていたIさんの『母の絶筆』という文章の冒頭の部分です。
三十一年前に逝去されたお母さんの枕元から見つかったもので、死の三カ月ほど前に書かれたものだとのことです。
この短い文章の中に、自らの死の近いことを悟ったお母様が、母と娘二人きりで、この世の旅路を信仰をもって誠実に精一杯歩んでこられたこと、この最後の時もすべてを主に委ね、平安のうちに在ることが分かります。
またIさんへの深い愛情と静かな熱い想いが伝わってきます。

 Iさんの文章は次のような言葉で終わっています。

「その私も間もなく母と同じ八十八歳が近づいてきました。改めて私自身の、この幸いな毎日を見廻し、声を上げて感謝せずにはいられません。主イエスの御愛の中に生きることをゆるされている事を、教会の皆様に守られている事を、亡父母の祈りの中に支えられている事を‼ ほんとうにありがとうございます」

 お母さんが天に召されてから三十余年、お母さんの願いのそのままに信仰生活を過ごされたIさんは、いつも「亡父母の祈りの中に支えられている事」を感じておられるのでしょう。
十一月は「死者の月」とも呼ばれます。
天上で祈っていてくださる信仰の諸先輩を感謝をもって記念し、「迷うことなく、雄々しく進む」思いを新たにしたいものです。

2016年10月号

 今年の夏は例年になく暑い日がつづきましたが、皆さんどのように過ごされたでしょうか。

 普段わたしは、朝九時前くらいに弁当持参で教区センターに出勤し、礼拝後は会議や面談がなければずっと主教室で机に向かい、説教の準備をしたり、メールをチェックしたり、本を読んだりして夕方まで仕事をして帰宅するという日々を送っています。
主教としていただいた恵みもたくさんありますが、牧師であったときとは全く違う仕事のスタイルであり、牧師でなくなった寂しさを感じることもあります。

 管理牧師をしている福岡ベテル教会信徒のTさんが予定より早く熊本県の施設に入所されました。
他にも用事があったのですが、そのTさんをお訪ねしました。
突然の訪問にもかかわらず喜んで迎えてくださり、ここが幼児期に過ごした地域であること、家族や親せきの方も近くに住んでおられること、また決まった時間に食事をすることに戸惑いながらも新しい環境にも少しずつ慣れてきたことなど、嬉しそうに話してくださいました。
ノートに祈祷書の逝去者のための祈りなど幾つかのお祈りを書き写し、そのノートを用いて、毎日天に召されたお連れ合いや家族のためにお祈りしておられることも知りました。
教会では聞くことのできないお話をゆったりとした時間の中で聞くことができました。

 さまざまな理由で教会の礼拝に参加できない方が大勢おられることでしょう。
毎日一人で聖書を読み、家族のため、友人のため、牧師のため、教会のためにお祈りしている方がおられます。
わたしたちはそのような方々によっても支えられているのだと改めて気づかされました。

 最後にお祈りをしたのですが、Tさんが涙を流しながら強く握手してくださり、またお訪ねすることを約束してお別れしました。
後日ご家族の方からもお礼の電話をいただきましたが、久しぶりの信徒訪問で牧師の喜びを感じ、Tさんから元気をいただいたひとときでした 。

2016年9月号

 熊本を中心とした地震から百日が過ぎました。(皆さんがこれをお読みになるころには更に一カ月が過ぎているでしょう)
九州教区・九州地震被災者支援室が設置され活動が続けられています。
教区内はもとより他教区、他教会、また海外の教会からも多くの祈りと献金が寄せられていること、またボランティアとして多くの皆さんが熊本に足を運び奉仕してくださっていることに改めて感謝いたします。
被災地では一九〇〇回を超える余震が続いており、大雨による被害も受け、また猛暑のなかで、被災者の皆さんは日々生活されています。

 「被災者支援室の活動はいつまで続けるのか」、「今後どうしていくつもりなのか」という質問を受けることがあります。
被災者支援室でもそのことは考えようとしています。
しかし、いつまで続けるのか、今後どうしていくのか、現時点でははっきりとした見通しは立っていません。
何故なら、地震から三カ月を経てもなお、壊れた家屋の前で呆然と立ち尽くす人がおり、避難所、テント、軒先などで過酷な日々を過ごす人びと、また大きな揺れにより傷を負い、不安のなかにいる人々が少なくないからです。
確かに仮設住宅も少しずつできているようですが、がれきや壊れた家財道具などの片付けもまだという方もおられます。

「『九州地震被災者のため』の祈りが、三カ月経った今でもリアリティをもっている」と語ったスタッフの言葉がとても印象に残っていますが、それほどに被災された方の状況は変わっていないということです。

 熊本聖三一教会会館をセンターとして用いていますが、活動が長引くことで熊本の信徒の皆さんの負担が大きくなっていくこと、またスタッフの健康など気にかかることもありますが、「被災者をだれも孤立させない」ための活動が続いています。
皆さんの祈りとご協力を改めてお願いいたします 。

2016年8月号

 日本聖公会第六十二(定期)総会が六月に開催されました。
幾つもの議案が審議され可決されましたが、わたしたちの礼拝生活にとって大切な決議の一つは、堅信前の陪餐が可能になることです。
実際には来年一月の実施を目指し、主教会からメッセージやガイドラインが出されることになっています。
これまでは堅信を受けた者、あるいは主教の特別な許可を得た者でなければ陪餐できませんでしたが、洗礼を受けた者は堅信前でも聖餐に与ることができるようになるということです。
もちろん、その前に一定の準備が必要です。
子どもでしたら、小学校に入学するくらいの年齢になったら準備をしたうえで陪餐することができます。
幼児洗礼を受けたまま成人になった方もふさわしい準備をして堅信前でも陪餐することができます。
昨年四月に『「堅信前の陪餐」を巡るQ &A』というブックレットが各教会に配られていますので、ぜひもう一度よくお読みください。

 そこでお願いがあります。
お子さんのおられる方は子どもたちを積極的に主日の礼拝に出席させてください。
また礼拝に来た子どもたちを温かく迎えてください。
日曜学校だけでなく、子どもたちも一緒に聖餐式、み言葉の礼拝に参加することが大切です。
子どもたちにとっては難しく退屈に思える時間かもしれません。
静かにしていることができないかもしれません。
うるさいと感じる人もいるかもしれません。
静かで厳粛な礼拝を望んでいる人もいるでしょう。
しかし主日の礼拝、特に聖餐式は神の家族の共同の食事です。
大人だけでなく子どもたちもそこに招かれているのです。
ときどき陪餐になったら聖堂に来て祝福を受け、すぐに聖堂から出ていく子どもがいます。
サーバーをするとか、聖書朗読をするとか、何か役割をもって礼拝に参加することなど考えられないでしょうか。

 子どもたち、その両親が遠慮することなく喜んで参加できる礼拝にするために、信徒と教役者でともに話し合ってください。

2016年7月号

 ご存知の方も多いと思いますがフランシス太田国男執事が五月十三日に神様のもとに召されました。
太田執事は一九三一年生まれ、十歳で発病し群馬県の栗生楽泉園に入所してからクリスチャンになり、聖職に召され執事に按手されます。
そして一九八四年に北関東教区から出向で九州に来られますが、その後正式に九州教区に籍を移され菊池黎明教会で長く働かれました。
太田執事と親しく交わりをもたれた信徒や聖職も多いことと思います。

 日本聖公会は二〇〇四年第五五総会で「ハンセン病問題啓発の日を設けハンセン病問題への理解が深まるため祈る件」が可決され、以後ずっとこの日が守られています。
この議案を提出したのは九州教区の代議員でしたが、その中には太田執事もおられたのです。
黒川温泉でのハンセン病元患者の宿泊拒否があったことが背景にありましたが、たとえそのことが無くても長い間のハンセン病に対する偏見や差別がなくなるように働きかけることは太田執事の願いだったと思います。
その後もGFSが『ハンセン病のお話し』という子ども向けのブックレットを製作しますが、その主人公のモデルは太田執事です。

 このブックレットは管区人権問題担当者によって全国の教会にも配られ日曜学校などで用いられました。
また九州教区の「ハンセン病問題啓発資金」は太田執事の献金によって始められ、それが毎年用いられて多くの方々に学びや交流の機会が提供されました。

 頑固な一面もあったとも聞いています。
晩年は主日の礼拝に出席されることもなく、わたしも居室にお訪ねしてお話はしましたが、ご一緒に礼拝をする機会はありませんでした。
しかし遺言によって、キャソック、サープリスとストールの姿で神様のもとへ旅立たれた太田執事は最後まで主の牧場のひつじであり、公会の聖職でした。
太田執事の魂の平安をお祈りいたします。

2016年6月号

 「誰が、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。
艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」
(ローマの信徒への手紙八章三五節)

 四月十四日、十六日に起こった熊本、大分地方での大地震によって多くの方が亡くなり、怪我をし、家を失いました。
千回を超える余震が続き、今も多くの皆さんが睡眠不足、疲労、不安、ストレスを抱え、気を張り詰めた困難な生活を余儀なくされています。
幸いなことに信徒の皆さんに怪我はありませんでしたが、同じように被災されました。
また熊本聖三一教会、菊池黎明教会の建物も被害があり、黎明教会は立ち入り禁止になっています。
自然の大きな力の前に、人はいかに無力であるかを改めて感じさせられますが、同時に互いに知恵と力を合わせることで、立ち直ることもできると信じます。
九州教区も「九州地震被災者支援室」を設けて支援活動を始めたことは、皆さんもご存じのことと思います。
わたしたちは心と思いを合わせてこの働きを担っていきたいと思います。
他教区、教会の皆さんも祈りによって、また献金や奉仕によってわたしたちを支え共にいてくださいます。

 今回の支援活動に当たり冒頭の聖句を掲げています。
パウロは、キリストの愛からわたしたちを引き離すものは何もないのだと力強く宣言しています。
どんな時でもキリストがわたしたちと共にいてくださり、支え、導き、守ってくださっていることに信頼し、わたしたちもまた、被災された方を誰も孤立させることのないように仕えていこうという想いを込めて選ばれた聖句です。
九州教区に連なる一人ひとりがこの想いを共有してほしいと願います。

 またこのことは決して被災者支援の働きに限ったことではありません。
わたしたちの教会の交わりを表すものです。
いつも「丁寧な」関わり合いを心がけてだれも孤立したり、忘れられたりすることなく神の家族、主に在る兄弟姉妹として共に歩むのが教会です。

 思ってもみなかった大きな地震災害という事実をしっかりと受け止め、このような時だからこそ、キリストの愛の絆の確かさに信頼してまいりましょう。

2016年5月号

 福岡でも春本番を迎えて花々が咲き誇り、新緑が目に眩しく新しい命の輝きに満ちています。
皆さんは主キリストのご復活をどのようにお祝いされたでしょうか。
永遠の命に与るわたしたちは、日々新たにされて主の復活の証人として歩む思いを強くしたいと思います。

 復活の証人としてのわたしたちの使命は何でしょうか。

戦後七十年の昨年、主教会は〝戦後七十年に当たって〞のメッセージを出しました。
その中で「日本聖公会〈宣教・牧会の十年〉提言」に触れ、「悲劇に満たされたこの世界・社会において、絶望の内にある人びとのかすかな声に耳を傾け、声を出せない人びとの『声』となって行くこと、圧倒的に希望を奪われた状況の中に生きる人びとに対して、…、神の祝福〝〈いのち〉の喜び〞を語り続けること、それがたとえ、か細い声や小さな祈りであったとしても語り続けること」を大切にしていくことを訴えています。復活の証人であるとは、平和のしるし、和解の器として歩むことと言えるでしょう。

 三月二十九日には「安全保障関連法」が施行されました。

多くの憲法学者が憲法違反であると言っています。
法案成立後も国民に対する十分な説明もありませんでした。
集団的自衛権行使によっていつでも戦争ができるようになりました。
また憲法「改正」の動きも進んでいきそうです。
今ある日本国憲法の「立憲主義」、「非暴力平和主義」が脅かされることに多くの人たちが危機感をもっています。
皆さんはこのことについてどのように考えておられるでしょうか。
五月三日は憲法記念日です。
どうぞ日本国憲法をもう一度よく読んでみてください。
自民党憲法草案と読み比べることもお勧めします。
そして教会の中で皆さんで話し合ってみてはいかがでしょうか。
憲法に対する考え方、立場はそれぞれかもしれませんが、お互いに意見や想いを聞き合い、復活の証人、平和のしるし、和解の器としての在り方を考えたいものです。

 「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣をあげず、もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ二章四節)

2016年4月号

 すっかり春らしくなり新しい命の息吹を感じるようになりました。
それぞれの教会で主キリストの復活を祝い感謝賛美の礼拝を献げられたことでしょう。

 今年の復活日の福音書はルカによる福音書の復活の出来事が読まれましたが、ルカによる福音書の特徴の一つはガリラヤからエルサレムに向かう旅の部分が他の福音書よりもずっと長いことです(九章五一節〜十九章二七節まで)。

そしてこの旅の途上でよいサマリア人、放蕩息子のたとえ、金持ちとラザロなど、大切な教えが語られ、マルタとマリア、「重い皮膚病」を患っている十人の人たち、徴税人ザアカイなどとの温かい出会いがあったと記されています。

 イエスの旅はエルサレムで終わりません。
十字架の死からよみがえられたキリストは、エルサレムからエマオへと向かう二人の弟子たちと共にさらに歩み続けるのです。

そしてエマオでの夕食の時、パンを裂く姿を通して復活の主であることを自ら伝えました。
復活のキリストが最初に現れたのは旅の途上だったのです。
さらにルカはイエスの昇天をも記して福音書を終わります。
天からこの世に来られた救い主は受難のためにエルサレムへと向かい、さらに復活、昇天を通して再び天へと進まれたと記すのですが、わたしたちもまた人生の旅の途上で復活の主に出会い、主のみ跡に従って歩むのです。

 東日本大震災のとき「いっしょに歩こう!プロジェクト」で働かれた東北教区の司祭は、「被災された人たちと一緒にイエス様がおられた。」と振り返られました。
同じように「辺野古の新基地建設反対のために座り込んでいる人たちの中にイエスがいた。」と沖縄教区の司祭も学習会のなかで証言されました。

 主キリストの復活を祝うわたしたちは身近な場で、また世界各地で、痛み、悲しみ、苦しむ人たちへの祈りと関わりを大切にし、よみがえりの主と共に歩む喜びを深めたいものです。

 主キリストのご復活を心からお慶び申し上げます。

2016年3月号

 皆さんがこの文章をお読みになるのは大斎節も半分が終わっている頃かと思いますが、今年の大斎節は二月十日から始まります。
この大斎節の間皆さんはそれぞれ克己と祈りに励んでおられると思います。

 この大斎節の期間、皆さんにお願いしたいことがあります。
それはわたしたちの教区に聖職に召される人が与えられるために祈ることです。
このことについては二〇一四年五月号のこの欄で二名の聖職志願者が出たことをお知らせし、「わたしたちみんなで、二人に続く献身者が与えられますよう祈り続けてまいりましょう。」と記しました。
そのことをもう一度皆さんにお願いしたいのです。

 この三月末をもって吉岡容子司祭が定年退職を迎えます。
すでに公示しましたように吉岡司祭は定年後も嘱託司祭として働いてくださり、他にも三名の司祭が嘱託司祭として奉仕してくださっていますが、現職の司祭は九名になります。
聖公会綱憲の第四に「使徒時代より継承したる主教(エピスコポ)、司祭(プレスブテロ)、執事(デアコノ)の三聖職を確守する。」とある通り、わたしたちの教会にとって聖職はなくてはならないものです。
すでにお祈りくださっている方も多いと思いますが、今年の大斎節の間、みんなで聖職に召される人が一人でも多く与えられますよう祈りを一つにしたいと思います。

 昨年五月には主教座聖堂委員会から〈聖職に召される人が与えられるための祈り〉というカードが作られ皆さんに配られました。
祈祷書や聖書などに挿んでおられる方も多いことでしょう。
主日の礼拝においてだけではなく、家庭でもこのカードを用いてくだされば幸いです。

 また、現在京都のウイリアムス神学館で学んでいる塚本祐子聖職候補生のために、また彼女と一緒に学んでいる神学生、聖公会神学院の神学生たちのことも覚えたいものです。

 大斎節の日々が主キリストの復活の良い備えの時となりますよう聖霊の導きをお祈りいたします。

2016年2月号

 大濠公園を散歩していた時のことです。
幼稚園が冬休みを迎えたからでしょうか、その日は小さな子どもを連れたお母さんたちが大勢いました。
いろんな親子の会話が耳に入って来ます。
前方に赤ちゃんを抱いたお母さんが後ろを向いて立っていました。
その視線の向こうには女の子が走ってくるのが見えます。
よろよろしながら一所懸命走ってきた女の子に「もう、ずっと待ってたんだからね。」と言うお母さんの声は少し怒気が感じられます。
ああ、あの子は叱られるなと思いました。
すると女の子は「待っててくれてありがとう。」とはっきりとした声で言ったのです。
お母さんはそれ以上何も言わずに、女の子の手を取って歩いて行きました。
何気ない会話でしたが、「待っててくれてありがとう」という女の子の言葉がわたしに心地よく残り、何だか嬉しい気持ちで帰って来ました。

 「ありがとう」はやっぱりいい言葉です。
人との関係の潤滑油のようです。
わたしたちは普段どれほど「ありがとう」を言っているでしょうか。

もちろんうれしい時、自分の願いがかなった時にはすぐに「ありがとう」と言えるでしょう。
しかし、そうでないときにも「ありがとう」と感謝を選び取っているでしょうか。

心配事や不安がある時にも、思うようにならない現実のなかでも、辛い思いを抱えていながらも、今置かれている状況のなかであえて感謝を選び取ることは、わたしたちが光の子として歩むために必要なことです。
世の光として来られた主キリストがどんな時にも必ず共にいてくださり、慈しんでくださることに信頼し、わたしたちは喜びと感謝とを選び取る者でありたいと思うのです。

 二〇一六年が始まりました。
今年も皆さんのうえに主にある喜びが豊かにありますよう心からお祈りいたします。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一・五章一六節〜一八節)

2016年1月号

 今年も皆さんにお集まりいただき、第一一〇(定期)教区会を開催できますことを主に感謝いたします。
主日礼拝を終えてお集まりくださった聖職議員、信徒代議員の皆さん、この二日間、どうぞよろしくお願いいたします。
教区会の準備にあたった書記局の働きに感謝です。
番外委員として出席くださる皆さん、また今年は補助書記に信徒の方もお願いしていますが補助書記、会計、選挙補助員また食事のお世話をしてくださる福岡聖パウロ教会麦の会の方々などこの教区会を支えてくださるすべての皆さんに心から感謝申し上げます。
多くの人の祈りと支えのなかで教区会は開催されます。
わたしたちは神の恵みと導きが与えられることを祈りつつこの教区会に臨みたいと思います。

 教役者について申し上げます。
最初に嘱託司祭として奉仕してくださっている壹岐裕志司祭、デビッド・コフリン司祭、濱生正直司祭に心から感謝いたします。
また十八年間、九州教区で働いてくださっている吉岡容子司祭は来年三月末をもって定年退職されます。
定年退職にはまだ四ヵ月余あり、定年退職後も九州教区のためにご奉仕いただけるものと信じていますが、これまでのお働きに対して感謝申し上げます。
ありがとうございました。
長年九州教区でお働きくださった司祭ステパノ廣石修一師が二月十六日に、元婦人伝道師マルタ神﨑しづ姉が十月十七日に天に召されました。
あらためて二人のお働きに感謝し、魂の平安をお祈りいたします。

 塚本祐子姉は今年四月一日付けで聖職候補生として認可され、現在もウイリアムス神学館で勉強中です。
皆さんには教区神学生後援会の働きにご協力いただき感謝いたします。
今後とも彼女のためにお祈りとご支援をいただければ幸いです。
また聖職候補生として教区内で学びを始めていた相川和葉姉は御自身の都合により転居することとなりました。
残念なことでしたが本人の申し出により四月十六日付けで聖職候補生認可を取り消しました。

 教区の現職司祭は十名です。
誰もが牧師、管理牧師、協働司祭、チャプレンとして複数の教会や施設に関わっています。
さらに教区の部員、委員として、あるいは管区の委員としての役割も担っています。
「もう限界なのではないか」と心配の声が皆さんのなかからあがるような現状です。
教役者の健康や休暇についても各教会でご配慮いただいていることと思いますが、教役者が心身ともに健康に聖務に励むことができるよう信徒の皆さんも関心をもって声をかけてくださるようお願いいたします。

 昨年もこの機会に申しましたが、聖職が一人で教会の働きをするのではありません。
遣わされた司祭と共に信徒の皆さんお一人おひとりが宣教・礼拝・牧会の担い手として教会生活を支えてくださるよう改めてお願いいたします。
今月八日(日)に厳原聖ヨハネ教会宣教一一〇周年記念礼拝をいたしました。
厳原聖ヨハネ教会の歴史を振り返りますと、ひとりの司祭が長い年月牧会をすることはあまりありませんでした。
資料を読むと数年で他の教会に異動する教役者が多く、また若い教役者が来て執事、司祭になって数年で異動することも多く、さらに定住者のいない時も少なくありませんでした。
ですからいつでも信徒が中心になって教会を維持し、宣教・牧会を担ってきたと言えます。
それは今も厳原聖ヨハネ教会の信徒の皆さんのうちにも息づいている素晴らしい伝統ですし、九州教区の多くの教会にも共通して言えることではないかと感じています。
これからも信徒の皆さんが生き生きと教会生活に励むことができるため、引き続き教育部や伝道部が連携して必要な研修会などを企画・実施していきますが、皆さんお一人おひとりが宣教の担い手であることをお覚えください。

 もちろん信徒が宣教の担い手になっていくためにも聖職は必要です。
教区の働き人はまだまだ十分ではありません。
今年四月に『聖職に召される人が与えられるため』の祈りカードを皆さんにお配りしました。
活用されているでしょうか。
どうぞ主日の礼拝のなかだけでなく日々の祈りでも、教区に働き人が与えられるようにと、一人ひとりがお祈りくださることを特にお願いいたします。

 各教会の五年後の夢の取り組みは四年目を迎えています。
それぞれの教会の夢はどのように実現されつつあるのでしょうか?
昨年の教区会で五年後の夢委員会は二〇一七年三月まで継続することになり、今年は開催できませんでしたが来年七月には分かち合いの集いを開催すべく準備を進めています。
この取り組みは五年経ったら終わりということではなく、いつもそれぞれの教会が活き活きとした宣教共同体として歩むための取り組みであり、日本聖公会の「宣教・牧会の十年」提言にもつながるものです。

それぞれの教会が地域の人びとの必要に応えて福音を宣伝え証しするために何を大切にしていくのか祈りのなかで求め実践していくことです。
自分たちにないものを嘆くのではなく、今自分たちに与えられている賜物を用いたいものです。
教会はいつの時代でも完璧に人材が足り財政的にも十分に備わったから宣教する、宣教できるのではありません。
足りないこと、不十分なことがあったとしても、主キリストの福音そのものが、宣教へと人びとを送りだすのです。
主イエスが小さくされている人の友となり、人びとの必要を満たし、神の愛を告げ知らせたように、わたしたちもたとえ小さなことであっても、すぐに結果がでなくても、誠実にキリストの良い知らせを告げ知らせ、証ししていきたいものです。
主がそれを祝福してくださり豊かな実りを備えていてくださることに信頼し、各教会の夢の実現に向けて一歩ずつ前に進んでまいりましょう。

 今年の大斎克己献金の国内伝道強化資金は佐賀聖ルカ伝道所のために捧げられました。
また東京教区や立教学院からも献金をいただきました。
それらによって境内地購入・整備、建物の改築がなされより良い環境が整いました。
全国の信徒の方々が佐賀聖ルカ伝道所を覚えて祈り捧げてくださったことに感謝です。
またこれを機に地域の方にキリスト教会であることがより分かるようにと「佐賀聖ルカ教会」伝道所を通称として用いることになりました。

佐賀の地で宣教に励む伝道所の皆さんのために引き続きお祈りとご支援をお願いいたします。

 戦後七十年にあたる今年、八月九日(日)には長崎聖三一教会で、また教区内各教会で長崎の被爆七十年を覚え、犠牲者のためまた世界平和のために祈りました。
長崎聖三一教会には植松誠首座主教や大韓聖公会の代表をはじめ他教区からも多くの方が集まり、またカンタベリー大主教もメッセージを送ってくださり、わたしたちと祈りを共にしてくださいました。
戦争や紛争が絶えない世界の現実、「安全保障関連法案」が可決され、多くの地元の人たちの意思に反して沖縄の新基地建設が強行されており、福島第一原子力発電所事故から四年八ヵ月を経ても復興には程遠く、被災者の苦悩はむしろ深刻化しているなかで原子力発電所が再稼働するなど、日本社会も平和とは言えない現実があります。
わたしたちはキリストの福音に根差して「平和の同心円」を広げていく働きを大切にしていきたいものです。
これは各教会の五年後の夢にもつながる宣教の課題として大切にしていただきたいことです。

 今年の嬉しかったことの一つは、沖縄教区、神戸教区の若者たちも一緒に参加した青年有志による「ヒロシマ│ナガサキ 平和の旅」byチャリ(通称「平チャリ」)が五年ぶりに行われたことです。
各教会で若者が少ないと言われていますが、平チャリに参加した若い人たちと過ごしていると、普段なかなか礼拝に来られない青年もいますが、教区内に青年がいないのではなく、青年たちが関わってみたいと思うプログラムが少ないのではないかと考えさせられました。
神戸教区、沖縄教区との協働で行われているフィリピンワークキャンプや「平チャリ」のようなプログラムは、青年たちがキリスト者としての喜びや使命を分かち合う貴重な機会です。来年は東アジア教会協議会(CCEA)主催のアジア青年大会が開催され当教区からは古澤はん奈姉(大分聖公会)が参加する予定ですが、その体験も教区の中で分かち合われ、さらに青年たちの絆が強まり広がることにつながることを期待しています。
今年の平チャリを多くの方々が支援してくださったようにこれからもご支援ください。
地域的に広い九州教区で皆が一堂に会することは決して簡単なことではありませんが、今後ますます青年たち、中高生たち、小学生たちにも、それぞれに応じた教区的なプログラムが提供されることを期待します。 最後に聖書の一節をお読みいたします。

 「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それはあなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。」(エフェソ四章一│四節)

 この聖書のみ言葉を心に留めながら教区会に臨みたいと思います。

 各部会、委員会の報告のうちに折々の与えられた主の恵みと導きを感謝いたしましょう。
また新たな一年の歩みのうえに導きを祈りつつ議案を審議してまいりましょう。
限られた時間のなかですが、教区の平安・進歩、一致に資する前向きなご質問、ご意見をお願いいたします。
わたしたちがこの教区会を通しても神様の栄光を表し、喜びをもって教区会を終えることができますように皆さんのご協力をお願いいたします。

 【選挙について教役者議員、信徒代議員へのお願い】
管区の女性に関する課題の担当者(女性デスク)から、日本聖公会が意思決定機関への女性の参画に関して、二〇二二年までに三十%を目標としていることを覚えて、常置委員選挙また総会代議員選挙に臨んで欲しい旨のアピール文が届いています。
今教区会での常置委員選挙、総会代議員選挙に際して考慮いただければ幸いです。
また各教会での来年度教会委員および信徒代議員選挙について信徒の皆さんにもお伝えくださるようお願いいたします。

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